ジンジャーエール湖畔・於
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100¥ショップでハート型のクッキングリングを買ッタ。 ハート型の目玉焼きが作れるんだよ。 わたしはハートのホットケーキを焼いてバターとメープルシロップをかけようと思ってる。
( コ レ デ ア イ ツ ハ ワ タ シ ノ モ ノ ! )
今日は買物運よくて、大隈講堂前でやってた古本市で『贅沢貧乏』(森茉莉)も買ったんだ。 装丁も凝ってて美本なの。300¥は安すぎ。 なにを隠そう、わたしがセーターを「スウェータァ」と発音してしまうのは、森魔利ゆずりなのさ。 室生犀星の「ビフテキの薔薇色と脂」という言葉を知ってから魔利は、 ビフテキというものを考えるときに、どうしてもその言葉がうかんでくるといっている。 それと同じように、もはやセーターは「セーター」でなく魔利みたく「スウェータァ」として 私の脳みその中では君臨してるんだ。 そしてまた更に、今度はわたしが「ビフテキ」というものを考えるときには、 犀星から発信されたビフテキが、魔利の夢と現実のフィルター(薔薇色と脂)をとおして、やっとわたしのもとに到着する。 ビフテキの長い旅。 地球に届く太陽の光は、本当は太陽から発された時点よりすごく後のものっていうのに似てますね!
(こんがらがルナー?意味通ジテマスカ?)
だからこれを読んだ人は、今後ビフテキを考える時には、 犀星、魔利、というビフテキの旅の最後にどうかわたしのことも想いめぐらせて欲しい。 わたし経由でビフテキが考えられることがあれば成功といえる。 今どき「ビフテキ」、なんて言う人いねーか。
今日は、卒論計画書の発表があって久々に学校へ行った。 わたしは、テーマをよく練ってなくて、ひたすら甘さを指摘され、 教授のいうことにウンウンうなずきながらひたすら時の過ぎ去るのを待っていた。 「君の趣味はだいたいわかってきた。私はあまり共感はできないけど。」だって。
あーこんな日は、ゴースト商店街のあの銭湯へ行こう! 知ってる?あそこへいくと勇気がわくんだぜ。 ほとんどの人がおばさん以上の年齢の人で、その人たちに囲まれて、 あーぁ、すごいシワシワなおっぱいだなーとか、贅肉すごー!とか心の中で想って そして自分と比べてみる・・・。そんな優越感と熱いお湯に浸るんだ。 いーやーなーやーつーだーねー! でもいいじゃない、わたしがそうしてるのも今だけさ。
髪の毛が濡れたまま銭湯を出て、ジュース飲みながら帰るんだ。 のぼせ頭 アップルジュース シンとした夜の空気 コインランドリーの洗濯物よ回れ 空き地にかかれた落書きはダイイングメッセージのように 緑色に光る公衆電話はきまって沈黙している ケーキ屋のシャッターの兎は夜しか姿を現せないの刑 2軒先に住んでるピーター(柴犬)はすでに眠っていた あぁ、ピーター!かれはいつも眠っている 眠っている犬は、眠りながら現実を生きている すべての現実は夢におおわれている。 血のしたたるビフテキですら − H O R A << 薔薇色の脂>>>
「室生犀星の「女のひと」の中に、「ビフテキの薔薇色と脂」という言葉がある。その言葉を読んで以来、ビフテキというものを考える時、魔利の頭にその言葉が、浮かんでくる。ビフテキをナイフで切ってたべるということは「現実」であり、ビフテキ自身も「現実」であるが、ビフテキを美味しいと思い、楽しいと思う心の中にはあの焦げ色の艶、牛酪の匂いの絡みつき、幾らかの血が滲む薔薇色、なぞの交響楽があり、豪華な宴会の幻想もある。又は深い森を後にした西欧の別荘の、蒔の爆ぜる音、傍らで奏する古典の音楽の、静寂なひびき、もあるのである。ある男が、埴輪のような土の人形を愛する時、その愛情は生きている女への愛情よりも深いのかも、知れない。ある男の娘への愛情は、或時からは、その妻への愛情より深いかも、知れない。愛情や、楽しさが、現実だけのものなら、現実のもう一つ奥に、何かが隠れていることはない筈である。魔利は何とかして、自分の頭の中にある夢の世界の存在を、正当化しようとして、こんな意見を引っぱり出して来るので、あるらしい。<<夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石>>」・・・・・ (森茉莉「贅沢貧乏」より)
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