ジンジャーエール湖畔・於
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2002年04月21日(日) |
ロシアとロバとその他のものに |
こういうなんとも適当なタイトルを自作の絵につける画家、 マルク・シャガール。 そんなシャガールの展覧会をみた。 私はこういう美術館などに来ると、なんだかしんないけど笑ってしまう。 まさに女蛭子能収、である。 二年くらい前のサントリー美術館でもそれが起きてしまった。 どんな興味があってか何故だか水墨画を見に行ったのだ。 そこで、運命的な出会い!「寒山拾得」の発見である。 こどもなんだかオヤジなんだかわからん寒山と拾得の『に〜んまり』 の絵を大量に眺めていると、ちょっとしたトリップ感があった。 も〜クラクラするようなその微笑み!ったらない。 服装もズルズルと裾を引き摺るようなかたちで、ともすればヨダレでも垂らしていそうな、漫画だったら「デヘへ〜」というオノマトペで表されていそうなぐらダラシナイ寒山拾得のたたずまい。 それらとガラス越しに対峙する私の心境といえば、まるでにらめっこ。 そう、にらめっこなのです。 にらめっこってたいして面白い顔を相手がしている訳じゃなくても どーしょもなく笑いがこみ上げてくるでしょ?あの感じ。
そして今回のシャガール。 笑いに至るまでには少し鍛練が必要とされる。 寒山拾得と違ってこちら側がツッコんでやらねばならない。 寒山拾得が天然のボケであるジミー大西だとしたら、 シャガールはさしずめ松本人志とでもいおうか。 あんまり上手い例えではないけれど。 幻想的で謎めいていてそれでいて気持ち悪いよな禍々しさはまさに私好み。 でもロバが!ニワトリが!おっさんが!浮遊してるまるで無重力のような 構図、奥のほうにちっさく描かれたヘタウマな人々、ところかまわず現われる 抱きあう男女、尻がチェロになっていて自ら弾かんとする馬、首がもげた男、 ろくろ首のように首がニョロニョロ伸びて顔だけ女の人にチュッ!、 まるで見世物小屋的世界。 感動した!(小泉純ちゃん) 人生でもっとも私が大事だと思うことは「笑い」です。 シャガールも寒山拾得も別に笑わそうと描かれたわけでは ないのだろうけれど、そこに笑いの要素がみられるってことは 大切なことだと思うのです。
ひさしぶりの上野は駅がとっても綺麗になっていて驚いた。 東北への玄関口という演歌くさい世界からはかけ離れてしまったなぁ。 上野駅の中にできた浅草染太郎でそば入り豚天を食べた。
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