KENの日記
 < 過去  INDEX  未来 >

2017年11月03日(金) 乃木邸・黒田清輝美術館見学



今日は文化の日で幾つかの文化財の特別一般一般開放が行われています。どの文化財が何時一般開放されるか事前に調べておく必要があり、今年は赤坂にある「乃木邸」、大井町にある「伊藤博文の墓」を見に行こうと考えていました。「伊藤博文の墓」の代わりに今回は上野の「黒田清輝美術館」を見てきました。まず乃木坂にいって続いて千代田線で「根津」に」移動しました。

地下鉄乃木坂にある「乃木邸」は港区が管理する文化財で5月・9月・11月に一般公開されます。この日は秋の一般公開最終日で外国人を含め多くの見学客が集っていました。乃木邸は乃木希典が殉死した後東京都に寄贈されたため、基本的に乃木殉死時の姿をそのまま留めています。港区では殉死時の乃木が来ていた「礼服」等に風を通す目的も含め年三回(春・秋・命日)オープンしているようです。見学のポイントは殉死時のまま残っている乃木邸に建物・家具等と、乃木と夫人が殉死した二階奥座敷の様子(来ていた服の展示も含めて)がリアルにみることができる点です。

乃木希典については2011年7月に大連・旅順を旅行した時に「203高地周辺」をジックリ見てきました。勿論「坂の上の雲」で事前勉強しました。児玉源太郎の助けもありましたが、「日露戦争」の英雄として好印象をもっていました。今回その乃木邸を見学して印象に残ったことは「殉死の時」で時間が止まっているということです。一種異様な状況ですが、「1912年の殉死時」に乃木邸に住むべき人間が居なくなってしまったことを示しているのです。つまり乃木希典の奥様(静子さん)も乃木と一緒に死んでしまいました。「陸軍」の英雄「乃木将軍」はなぜ奥様も一緒に殉死させたのか腑に落ちない疑問を抱きました。

今年10月に四国88カ所札所巡りを結願したのですが、最後の香川県善通寺には乃木が丸亀に赴任中滞在した金倉寺がありました。事前に連絡なしに訪問した静子夫人との面会を渋ったという堅物の「乃木希典」の話が残っているだけに、この「殉死の間」には様々な思いが錯綜しているように思えました。

上野公園にある東京国立博物館の「黒田清輝美術館」も年3回無料で一般公開されます。この美術館(黒田記念館)は黒田清輝の遺志にそって、彼が遺産を原資として設立されました。その後に遺族等からの絵画の寄贈を受け「黒田清輝」の一大コレクションになっているようです。乃木邸と同様に明治・大正期の日本の代表的先人が残してくれた遺産です。



特別室では「読書」「舞妓」「智・感・情」「湖畔」という黒田清輝の代表作が展示されていました。これらの傑作は間近に見る機会はめったにありません。黒田清輝の繊細な筆使い・表現を垣間見ることができます。特に「湖畔」は黒田清輝の奥様の「照子さん」がモデルとなっています。照子さんへの思いが滲み出ている傑作です。黒田清輝は「妻照子さん」を何枚も描いているようです。




Ken [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加