| 2005年05月14日(土) |
カレーと「チャンドラ・ボース」 |
私の新婚時代(といっても25年も前ですが)妻と各地のカレーレストランを食べ歩きました。なぜ始めたか理由は忘れましたが、フランス料理を食べる余裕が無かったことも理由だったはず。妻と一緒にグルメ本を頼りに、店を探し出して基本的にチキンカレーを食べるのです。最後の仕上げは「シナモンティー」。
当時は東京のインド料理店は数えるほどしかありませんでした。この趣味は今でも続いていますが、ここ数年スリランカとインドに住むチャンスを得て、本家のカレーレストランを食べ歩き、趣味の総仕上げをやっているようなものです。東京のインドカレーの代表はなんといっても新宿中村屋と東銀座のナイルでしょう。
この二つのレストランは、インド独立に尽くした二人のインド人に深く関係しています。中村屋は革命家「ラシュ・ビハリ・ボース氏」、ナイルレストランは創業者の「A.M.ナイル氏」です。
この二人は、昨日インドで封切られた映画、インド独立の英雄「チャンドラ・ボース」に深く関わっていました。この3人について少し調べて順番に記録しておきたいと思います。
「2005年小泉首相来印記念・・・チャンドラ・ボース」 チャンドラ・ボースは1897年にカルカッタ(現在のコルカタ)に生まれました。スバス・チャンドラ・ボースが正式名前です。イギリス留学から帰国して、1921年にマハトマ・ガンジーの英国支配への非協力・不服従運動に参加しました。
その後インド国民会議派に入り1938−39年に同派議長をつとめました。しかし、チャンドラ・ボースは非暴力のガンジーの路線と対立してインド国民会議から離れました。ボースの考え方は武力を否定するものでありませんでしたが、これは決してテロの類ではなく、勢力の弱まったイギリス軍に対して「有効な戦い方法」「勝ち方」を選んだのだとされています。
その後ボースはアフガニスタンを経由して1941年にベルリンに逃れ、武力でのインド解放を提唱します。そして1943年、ドイツの潜水艦に乗り、インド洋において日本の潜水艦に乗り換えて日本に入りました。彼は時の東条英機首相に支援を取り付け、日本軍の援助の下にシンガポールに自由インド仮政府を樹立してその首班となりました。そしてインド国民軍を率いて日本軍とともにインパール作戦参加し、大失敗に終わります。1945年8月19日、台北の飛行場で離陸直後の事故で死亡しました。
チャンドラ・ボースの墓は東京にありインドの要人は来日にあわせ訪問することになっているようです。(杉並区の蓮光寺に遺骨が安置されています)
新宿中村屋のラシュ・ビハリ・ボースは、チャンドラ・ボースの来日を画策し日本国内で彼の支援を行ったのです。確かにガンジーの「非暴力」は理想的なのですが、インドでは武力で独立を目指した「ボース」も英雄です。インドは第二次世界大戦終了後1957年に独立を果たしました。
日露戦争の日本の奇跡的勝利に加え、意見は分かれるでしょうが、英米列強に対抗するアジアの結束を目指した日本の理想に理解を示すインド人は少なくないようです。チャンドラ・ボースを再評価し、これまでの日印関係をきちんと理解しインドと付き合いって行きたいと思います。
日本の大衆料理はラーメンとカレーライス。中国とインドには切っても切れない縁があるのです。
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