KENの日記
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2005年04月24日(日) 「マクダム・アリ・ダルガ」イスラム寺院

インドにおいてヒンズー教に次いで大きな信者数を抱える宗教がイスラム教です。第二次世界大戦後、西パキスタン、東パキスタン(現バングラディシュ)分離によってインド亜大陸のイスラム人口は流出しましたが、それでも現在のインド国内には1億人以上のイスラム教徒がいます。


インドのイスラム王朝は北インドのムガール王朝が超有名です。5代皇帝(17世紀前半)シャー・ジャハンが奥さんの墓として作った「タージマハール」はイスラム建築の代表的な文化遺産です。インドのイスラム王朝はヒンズー教の社会構成の構図を残しつつ支配しました。よく言われる「コーランか死か」というようなヒンズー至上主義(言葉の定義は曖昧です)ではありません。


この辺りのことは岩波新書「ヒンズー教とイスラム教」(荒松雄著)が詳しいです。さてムンバイにも多くのイスラム教徒が住んでいます。特に貧しい人が多いと聞きます。ムンバイのヒンズー寺院としては「ハジ・アリ」(海の中に突き出た寺院:観光地)が有名ですが、今回は、もう少しマニアックなマヒムにある「マクダム・アリ・ダルガ」に行ってみました。


実はインドのイスラム教の歴史は大分古く、北インドイスラム王朝支配の随分前から浸透していたのです。しかも、少し変った形で・・・。

「ハジ・アリ」もそうですが、「マクダム・アリ・ダルガ」も実は「イスラム聖人」の墓なのです。通常、イスラム教では偶像崇拝を厳しく禁止していますが、これらのイスラム寺院(正確には墓所)では、「聖人」の墓に信仰対象になっています。多くの人が墓に手を差し伸べ、首をたれている様子を見ることが出来ます。


「マクダム・アリ」には、「マクダム・アリ・マヒム(1372−1431)」の墓があるのです。イスラム教スフィ派が9世紀から10世紀に中央アジアイラン方面からインドにやってきたとのこと。イスラム教が発生してから200年か300年か後の事です。


このスフィ派は「苦行して奇跡を行って人々を教え・救済する」人達であったそうです。この「マクダム」はコーランを懸命に学び、インド人で最初にアラビア語のコーラン注釈を書いたのだそうです。多くの人々が崇拝しているところ見ると社会活動にも熱心で貧しい人達を助けたのだと思います。


この「マクダム・アリ」で面白いのは、明らかにヒンズー教と思われる人達も自由に一生懸命お祈りしていることです。普通、イスラム教社会では女性は肌を隠さなければなりませんが、ここではサリーを着た女性が男性と同等に礼拝しています。イスラム教にしては、非常に「開かれた感じ」です。私にも非常に親切でした。その墓所の横には、大きなモスクがあり人々が西に向かってお祈りをする光景が見られます。


インドにおけるスフィ派イスラム教は、このようにヒンズー教徒にとっても違和感のないものだったようです。インド社会では「聖人」崇拝が盛んです。一種の新興宗教みたいですが人々は非常に尊敬しています。ムンバイでよく見る聖人の像は「サイ・ババ」で、宗教を超えて多くの人々から尊敬されています。「サイ・ババ」といっても現在の南インドのアフロヘアーの「サティヤ・サイ・ババ」ではありません。19世紀後半にマハラシュトラのシルディに現れた聖人です。彼はイスラム教とヒンズー教両方の深い知識があったそうです。


少し怖そうな顔をした「シルディ・サイ・ババ」は、人々の病気を治す奇跡の「灰」を取り出したとのこと。今、南インドのアフロヘアーの「サティア・サイ・ババ」は、彼の生まれ変わりだと主張しているのです。インドには、こうした聖人を崇拝する素地は随分昔からあったのたため、イスラムの聖人を、そしてイスラム教を自然と受け入れたのだと思います。一生懸命にお祈りする人達を見ると、人々の信仰心の深さに驚かされます。


ただ、イスラム寺院には、貧しい人が集まっていて、物乞いの人が直ぐに寄ってきます。「ハジ・アリ」も、寺院までの海岸の道には、非常に多くの物乞いの人が座っています。ヒンズー寺院とは別な「覚悟」をしていかなければなりません。




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