KENの日記
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2005年02月20日(日) 「施し」について

ムンバイに限らずインドの都市で外国人が戸惑うことの一つは、「施し」を求める物乞いの人達にどう対応するのかということでしょう。タクシーなどに乗っている時に大きな交差点で信号待ちで止まると、すばやく外国人だと見定めて「物乞いの人」やってくるのです。道を歩いていてもどこからともなく近づいてくることがあります。


幼い子供が多いですが、赤ちゃんを抱いたお母さんとか、身体の不自由な人達も見かけます。インドに来て最初の頃は戸惑うことが多くて、そういう道を避けて通っていたこともありましたが、最近は、あまり考えずに「小銭」を持ち歩くことにしています。インドのコインでは、1、2、5ルピーくらいを財布に沢山入れておくと状況に応じてあげることが出来ます。


こちらは相手の背景が分かる訳でもないし(今日どれ位稼いだか、他の外人はいくらあげたのか)、どれくらい「施し」をあげればいいのか見当もつきません。合理的な「施し」基準を設定することは困難なので自分の気の向くままそのときの気分で対応することにしました。クリスマスの夜は少し多くとか、自分に嬉しいことがあった時には多くとか。


コインを探していて車で出てしまって次の交差点で別の人にあげたりします。これは仕方がないことだと思います。彼等には彼等なりの要求基準があるのかもしれませんが、例えば「白人や日本人は多く貰えるはずだ」とか。それは彼等の勝手な思い込みというものです。


バンガロールでの経験は痛快でした。バンガロールのある交差点で信号待ちで車が歩道脇に止まった時です。ひとりの子供が車の直ぐ横で「宙返り」を始めたのです。もうひとりは小さな「輪」をくぐっています。宙返りは結構旨く、お金を出すまで何回も続けるつもりのようでした。この時は彼等の努力に驚いて、少し多めに「施し」をあげました。


最近はカバンに果物を入れて持ち歩き「施し」を求めてくる人達にあげています。私は「施し」をあげるからには彼等に「サンキュー」と返事をするように促しています。何も礼を言わないで立ち去る人達がいるのです。彼等には全く勝手な要求ですが、彼等だって勝手に要求してくるのですから。


小銭が無く「施し」ができなくて逆に申し訳無いように感ずることもあります。そんなことが無いように小銭を持ち歩くことは、私にも「彼等」にも良いことなのです。




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