KENの日記
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2004年12月29日(水) 歴史的な大災害

インドネシア沖地震の津波による犠牲者は発生直後から日増しに増えつづけています。それは通信事情が悪いことと、津波の大きさが人々想像をはるかに超えていたからでしょう。アメリカの支援が「stingy」だと非難されて、慌てて日米外相会談をする始末。クリスマス休暇をアジアで過ごしたアメリカ国民の被害は相当多いはずですが、アメリカの基本的姿勢は「自分の事は自分で始末する」ですから。


でも通信事情が悪くて情報が少なかったので仕方がなかった面もあります。インドが「ミサイル」を発射していたら、米国防省はいち早く情報をつかんでいるはずですが。こういう自然災害に関しての情報はどうなっているのかしら。
「No new is not always good news」ということでしょう。


日本とかアメリカ・ヨーロッパ等では通信が途絶えれば大問題ですが、スリランカ東部とか、インド東部のアンダマン諸島では電話回線数が少なく、さらに地理的に離れているため緊急連絡しても意味があまりないので、通信需要は多くは無かったのだ(孤立していた)と思います。そうした地域から暫く連絡が無くとも、大災害を受けたと想像することは難しいかもしれません。


今回「クマトゥンガ」スリランカ大統領が、いち早く大災害であることを認識し(外遊先で)先進国に支援を求めたのは、有る意味で自分の国を良く把握していた証拠です。また災害の規模は人々の想像をはるかに越えていたことは確かです。


被害の大きかったインド洋の「アンダマン・ニコバル」(ベンガル湾の島々)の小さな島々では、小さな島に住む住民全員が流されてしまった可能性があるのです。10mから20mの高さの津波が高台の少ない小さな島を襲ったら、住民は逃げる場所がありません。タイのプーケットの映像では椰子の木が津波に耐えていましたが、アンダマン諸島では、椰子の木も押し流され全く瓦礫の大地だけになってしまった島もあるようです。


家族全員、親戚全員、島に住む少数民族全員が流されてしまった場合、探す人は誰も居ないのです。アンダマン諸島には、数十人、数百人単位の少数民族がひっそりと暮らしていた島があるとのこと。ほかの誰にも気づかれずに海水に流され海に沈んでしまった人々が多く居るはずです。スリランカ東海岸の山が迫った「入り江」に住んでいた人々を、同じ運命だったと思います。本当の犠牲者数を把握することは、かなり困難でしょう。だからといってどうすることもできません。自然の力のものすごさを肝に銘ずるしかないのですが。


ただ、自然の力の前に謙虚になって、せめて人間同士の争いなどは愚かなことで、止めようじゃないかと考えられないでしょうか。愛する者を失った者の悲しみ、愛する者を助けられなかった無念さは誰しも想像できるはずです。




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