| 2004年07月23日(金) |
初耳情報、周恩来暗殺未遂 |
シンガポールからムンバイに向かう飛行機で配られていた7月21日付けの「The Indian Express」の記事で面白いものがありました。
1955年4月11日に香港からインドネシアに向かったエアーインディアのチャーター機が上空で爆発事故を起こし飛行士等3人が助かったものの、残りの乗客・乗員16人が死亡した事故に関するものです。
この飛行機には、インドネシアのバンドンで開かれる予定のアジア・アフリカ会議に出席するため、中国と東ヨーロッパの代表団とマスコミ関係者がのっていたのでした。
今回中国政府が公表した機密文書の中で、この爆発事故は中国の「周恩来」を暗殺するためになされたものだということが明らかにされたそうです。
実際、「周恩来」はこの企みを事前に知って、この飛行機には乗らなかったのだそうです。「周恩来」は4月14日にインドのネルー等に会うために別の飛行機でラングーンに向かったのだそうです。
「周恩来」はこの企みを知りながら、チャーター便に乗った他の乗客には何も知らせなかったのだそうです。つまり他の乗客は「おとり」となったのだそうです。このことは、単に「周恩来」が冷たい人間だったとだけ解釈することは早計だと思います。暗殺者側に犠牲を払っても生き延びる「冷徹」な決意を示したといえるでしょう。
当時「周恩来」が毛沢東の専制の中で、またその取り巻きの間で繰り広げられた権力闘争の中で、生き延びることは大変なことだったと思います。
飛行機に関連した「殺害事件」は、一時期毛沢東の後継者と見られていた「林彪」の死亡事故(事件)が有名です。これはロシアに逃れようとして撃墜されたのだと記憶しています。もし「周恩来」も飛行機事故で亡くなっていたら、中国は飛行機暗殺で有名になっていたことでしょう。
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