KENの日記
 < 過去  INDEX  未来 >

2003年10月09日(木) ジャフナ再訪

(後日書いています)

10月9日(満月で休日)から12日までジャフナに来ています。金曜日は休暇をもらいました。感想は別途記事にする(つもりな)ので、簡単に事実関係のみ記載しておきます。

今回の旅の同行者:ジャフナ出身の法律家のDrシーバラートナムさん(60歳後半)。ドクターの秘書のバンコク出身のスーパさん。ご両人の友達の日本人IMAIさん。それと私。

Drシーバラトナムは国際赤十字(本部ジュネーブ)で働いていた際に、スリランカ・ジャフナ赤十字の活動に大きな貢献をされたので、ジャフナ赤十字のゲストハウスを利用できるのです。実はそのゲストハウス設立にも相当大きな私財を投入したみたいです。

赤十字ゲストハウスにも十分な数の部屋はあるのですが、メンテナンスが良くないので、私とIMAIさんはジャフナ赤十字の隣の別なゲストハウスに厄介になりました。設備は全く同じ感じです。

9日は朝4時30分コロンボを出発。

車はDrが手配してれくました。当初は私のセダンで私とIMAIさんで順番に運転して行こうということでしたが、タミール語を解する運転手をお願いして、大きな「バン」で行くほうが快適ということなので急遽変更。(ほんとうにそうでした)

旅程:コロンボから中部の交通の要衝クルネガラへ。クルネガラからA10道路を通ってアヌラダプラへ(ダンブッラを抜けるA9道路より早いです)。

ヴァウニヤで検問用の車検証のコピーなどを準備。ここで給油。

オマンタイの政府検問所・LTTEの検問所を通過してLTTE支配地域を北上。エレファントパス(スリランカ本土とジャフナ半島を結ぶ細い街道)を通ってジャフナ半島のポーレイのLTTE検問所・政府検問所を通過して、政府管轄のジャフナ地域入り。A9ロード(ジャフナではキャンディロードと言っています)に沿ったジャフナ赤十字に到着は午後4時過ぎ。12時間の行程でした。

政府の検問所の検問作業は相変わらず厳しいです。「厳しい」という言葉に代えて「国民に対するハラスメント」にすればさらに適切です。人は車から降ろされ、手荷物の検査を受けます。車はエンジンの製造番号を調べられます。貨物自動車は積荷をすべて降ろすことが義務付けられ、検査終了後にまた積み込み作業が必要になります。「LTTE」に武器持込をチェックしているのです。

LTTE支配地域への立ち入りに際しての書類(外国人用)は、パスポート・ビザ(写しで可)、申請書を準備しなくてはなりません。これに対して「LTTE」検問所は簡単な手続きで済みました。雰囲気はとても友好的です。

政府側はLTTE地域へおの旅行者を「武器持ち込み者」ではないかという猜疑心でチェックします。これに対して「LTTE側」はそんな心配は一切していません。

途中、ヴァウニヤで朝食。LTTE地域のキリノッチで昼食を取りました。前回2002年9月にキリノッチを通った時には、何もなかったのに、きれいなレストランが二軒もできていました。A9道路も「LTTE」支配地域に関する限り大幅な進歩がありました。

途中の交通安全祈願所(ヒンズー教)で、看護婦さんとしてキリノッチで働いているというKITAGAWAさんという方にお会いしました。看護所に電話がないと困っているようでした。

前回ジャフナに行ったとき(社用)は、コロンボで色々「LTTE」の悪口を聞かされていったのでした。コロンボに本拠を置く会社として「政府側の立場」で行ったといっても過言ではありません。

今回の旅は純粋にプライベートで、同行者のDrシーバラトナムさんは「タミール人」であり、彼の故郷を訪問するという名目なので、政府とは一線を画す立場で旅といえます。

両方の立場から「LTTE」支配地域の状況を観察できて、ジャフナに住む人たちと交流できて非常に感慨深い「旅」となりました。




Ken [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加