今日は7月18日は、東京で勤務していたときの同僚Hさんの四回目の命日でした。四年間が長いようであり短いようでもあり複雑な気持ちです。
当時、私は庶務担当を引き受けていて、事業部全体の社員の健康状態に気を配ることが仕事でもありました。会社の分割という大仕事に加え、私達の組織は全く新しい仕事をする組織であったので、ゼロから立ち上げなければなりませんでした。忙しくて他人を思いやる気持ちが少し足りなかったかもしれません。私の担当の社員は随分苦労しただろうと思います。(私のせいもあって)
Hさんのご家族三人が残されました。東京に勤務している時には、育英資金の募集を行ったり、労災の手続きを手伝ったり、できるだけのお手伝いはしてきました。私がコロンボ赴任したあと、引き継いだ担当者の奔走の結果、昨年の暮労災申請が認められご家族の将来の支えが大きくなりました。
Hさんの故郷、鳥取県米子へは一周忌にお尋ねしました。とても綺麗な街です。非常にやさしそうなご両親ですが、本当に残念そうだったことを思い出します。葬儀の日はちょうど東京地方の梅雨明けの日でした。一周忌の米子が太陽が照りつける真夏でした。「夏の暑さ」「梅雨開け」から連想されるのは、Hさんのことと父の葬儀です。
コロンボからできることは電話で近況をたずねることぐらいです。電話してみて、長男の方と奥様の元気な声を聞いて安心しました。
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