ゼロの視点
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2009年09月02日(水) 代謝の減退

 小さい時は、まったく泳げなかった。小学校に上がっても、泳ぐことはできなかった。そんな夏休みのある日、母の妹の夫=Mおじさんとその二人の娘と一緒に、埼玉県飯能市にある名栗川というところに私は連れて行かれた。

 母は水に入るのさえ嫌いなタイプで、私をすっかりMおじさんにまかせっきりにして、川岸で私たちをみていた。私は、川の中で水遊びをする程度の気持ちで水に入っていったのだが、実は、これが違っていた・・・・・・。なんと、恐怖の水泳レッスンがこれからはじまろうとは、その時の私は思ってもいなかった・・・・。

 軍人あがりのMおじさんの教えは厳しい。軍隊式ってのはこれまでに経験したことのない私にとって、それだけでも恐怖なのに、怖いMおじさんは、私の頭を押さえて水に突っ込ませようとしてくる!。

 お、お、おにーーーーーーーーーーーーーーー鬼、鬼、鬼!!!!!!!。って感じで、アタマを押さえつけられるたびに、ブザマにもがき苦しむ私。そんな横で、Mおじさんの二人の娘は、それはそれは徹底的に調教された水族館のアシカのように、Mおじさんの指示に従って、潜ったり、泳いだり、飛び込んだりと、二人揃って見事にこなしていく・・・・・・・。

 『怖いことはない、簡単だからやってみろ!』と、鬼軍曹のようなMおじさんは言うが、水も怖いし、おじさんも怖いんだよ〜、助けてくれ〜っ!!!!!、というのが本音であり、やってられるか〜っ、という感じだった。

 川の名前は名栗川と書いて、なぐりがわ、と読むのだが、耳からしかこの川の名前を知らなかった私は、てっきり《殴り川》なんだと、信じて疑わなかった。そのくらい、この川での恐怖体験は、長いこと尾をひいたものだった。

 それでも、小学校3年にもなってくると、泳げない自分というのに嫌気がさしてきたこともあり、プール時間では、プールの角などでひっそりと顔を水につけたり、バタ足やったりして、徐々に水に慣れていくように自分なりに、努力するようになっていった。

 小学校4年にもなると、クラスで嫌いだった子が泳ぎが得意なことに気づいて、なんとかしてコイツを・・・・、みたいな意地が出てきて、必死に泳ぐまねをしているうちに、泳げるようになっていった私。この頃から、水泳が大好きになりはじめ、スイミングスクールにも通うようになりはじめた。

 自分で泳げるようになってからスイミングスクールに行く、というのが、なんとも自分らしいともいえるのだが(笑)。ま、それほどまでに、他人に無理強いされて教えこまれることがトラウマになっていたのだと思う。

 小学校高学年から中学校までは、水泳の時間はなんちゃってスター気分でいられるレベルになっていたのだが、たまたま入った高校にプールがなかったことをきかっけに、水泳とは離れた生活を送るようになっていった。そして、気がついたらヘビースモーカーになり、夜昼逆転の生活を送り、不摂生のかたまりのような人間になっていき、いつからか、水泳なんて言葉は、私の生活から跡形なく消え去っていった。

 そして、26年のブランクを経て現在、再び泳ぎだした私。タバコをやめて早4年ということもあり、呼吸もらくらく、昔ほどではないにしても、それなりに体力がついてきたように思う。だが、いい気になって昔のようにバタフライしようをしてみたら、一発で足がつってしまった・・・・・・(涙)。

 食事量をちょっとやそっと減らしたところで、代謝がどんどん悪くなってきているので、そんなに簡単に昔のように肉をおとせない42歳・・・・・・(汗)。昔は、スポーツジムとかに通う人たちをコバカにした目で見ていた自分がいるのだが、今になって、こうやって金を払ってでも身体を動かさないかぎり、脂肪がびくともしないヤバイ年代に、自分もとうとう突入してしまったのだ・・・、というのをひしひしと感じる昨今である。 あーーあ・・・・・・・。



                魅惑的なテーブルには、注意!    


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