Miyuki's Grimoire
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2006年05月10日(水) 明日死んでもいいように

「明日死んでもいいように、生きている?」
自分自身に問いかけたとき、悔いはないけれど、自分自身の真実を完全に表現して生きたとは言い切れない気がしました。

ある人に聞いた話です。彼女は長い間がんセンターで死に行く人々のケアをしていた人です。彼女が言うには、死に行く人々が死を迎える瞬間に考えることといったら、たったひとつ、愛についてしかないと教えてくれました。人は、死の瞬間、自分が人生で受け取ってきた愛について、そして自分が表現できなかった愛について考えるのだそうです。

たとえば、明日、自分がこの世を去ると想像してみます。すると、たくさんの人たちの顔が浮かぶでしょう。その人たちへの感謝や愛の気持ちが自然に沸いてきます。また一方で、苦しみや悲しみを抱えていた周りの人たちのことを考えます。その人たちが、その苦しみを越えて行く手伝いをもっとしてあげたかったという思いもわき上がってきます。

たしかに、ホスピス・ケアをしていた彼女の言う通りです。

その自分の気持ちは、いま、相手に届いているのでしょうか? そう振り返ると、自分自身の真実をすべて表現しない限り、感謝や愛は決して伝わらないとはっきり感じることができました。感謝や愛は言葉にしやすいものですが、その人の心の弱点や歪んだ出来事として現れてくるネガティヴなエネルギーについては、気づいていても言いにくいため、ついつい遠回しにしたり、そこだけ避けたり、「ゆるす」という言葉で真剣に向き合うことを体よく逃げている場合があります。それは、恐れから来ています。愛されないことや、愛を失うことの恐れです。ということは、本当の感謝や愛は恐れを超えたところにしかないわけです。

世の中には、「言わなくてもいいものは言わないほうがいい」という見方もありますが、そこには成長はないと私は思うのです。本当にその人を愛していたら、その人が自分について知る手助けをしてあげること、そして、その人がその状況を自分で超えて行くことができると信じるべきです。

そんなことを考えた時、自分も「明日死んでもいいように、愛する人たちに真実の思いを語ろう」と思いたちました。


他人に対して怒りをぶつけ、そのために自らも傷ついていた人がいました。その人が怒るにはもっともな理由があり、明らかにその人のいい分は正しいのですが、同時に、その怒りの裏側に、癒されない悲しみが見えていました。それは魂のSOSなのです。私は彼女のことをとても大事に思っていたので、それを見るたびに悲しく思いましたが、繊細な彼女が傷つくのではないかと思い、また、そのことで関係が壊れるのを恐れ、遠回しな言い方でしかそのことを伝えることができていませんでした。しかし、ある日、とうとうお互いの体験のタイミングがやって来ました。勇気を持って彼女と向かい合うと、話は自然にそこへ向かいました。


みんな傷ついている
傷をつつき合うのはもうやめよう
お互いに優しくしよう
お互いを思いやろう

傷ついた人は、人を攻撃したり
人から逃げて隠れる
どちらも本当の自分を見せない

素直に正直になるということは
人を責めることではない
自分がどうしてそんなに腹が立つのか
自分を振り返ってみよう

他人は自分の鏡
よく考えてみて
自分を見つめて、怒りの裏に何があるのか
コアのエネルギーを見つけて
手放さなくてはいけない

みんな、そう
私も、そう

けれどすべての人の中に神性は宿っている
だから、みんな、相手の中に住まう神に祈り
その人が本来の光を輝かせる手伝いをしてあげよう

相手を嫌ったり、信頼を放棄してはいけない
それは自分を嫌い、信じないことだから
自分を信じよう、自分の中の神聖さを

人生にはつらい体験がたくさんある
なぜなら、それをやりにきたのでやっており
それを克服、学びをして霊的に成長を遂げる
そのことを人間である間は忘れているだけ
だからつらく感じる

寛容になり、かかわる相手を信じて
その人が成長できるような気づきや言葉をかけてあげよう
そして結果に執着しない
それはその人の大切な経験だから
充分な経験を積んだら、いつかきっとわかる

そう思えた時、心に平和と幸せが、きっと訪れるから


この言葉を言えたとき、私の中から友人に対する愛が溢れてくるのを感じました。彼女の目に美しい涙が浮かんでいました。わたしも言いながら何度も涙ぐんでしまいました。私はひとつ自分の中の問題をクリアしたような感じがし、より深い新しい関係が生まれたのをはっきりと感じました。

光は必ずすべてにとっての善となる。光は間違わない。

私はこのことがきっかけで、愛し方についてなにか感動に似た気づきを得ていました。「明日死んでもいいように」というのは、なかなかいい考えかもしれないな、とも思いました。心配しても、悔やんでも、明日は明日。明日死んでもいいように、今を生きて行きましょう。


miyuki