Miyuki's Grimoire
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2005年10月12日(水) HIROSHIMA

つい先日、広島に行ってきました。広島はずいぶん昔、たぶん15年くらい前だったと思いますが、アメリカの若いロックグループが来日した時、広島でイベントがあり、その取材で同行したことがありました。彼らは皆20代半ばで、東京以外では大阪と名古屋しか見たことがなかったので、原爆ドームを見てみたいと言い出しました。ファンの集いをした次の日、雑誌の記事に使わせてもらおうと一緒に平和記念公園に向かいました。

ちょうど、今のような、ある晴れた秋の日でした。平和記念公園の入り口から入って、正面の慰霊塔で参拝し、その向こうの原爆ドームを見た直後から、メンバーはだんだん無口になりました。その後、原爆資料館に入って様々な写真や資料を見学した後は、完全に、彼らは落ち込んでしまいました。一言も口を聞かず、その中の一人が、目に涙を浮かべていたのがとても印象的でした。私も何もいうことが出来ず、雰囲気はとてもしんみりとしてしまったのを憶えています。この出来事があり、私のなかでも、広島は沈鬱で悲しいエネルギーが満ちているところ、という印象が残ってしまいました。

あれから15年、戦後60年となり、時は西暦2005年です。二度目に訪れた広島は、やはりきれいに晴れ渡っていました。以前訪れたときよりも敷地が広がり、整備されたのか、木々の数も増え、ベンチも増設されて、より広く、美しい公園になっていました。まるで、イギリスの公園のように、親しみやすく、近所の人たちが昼寝をしにくるようななごやかなムードです。多くの方がここで祈り、瞑想したおかげで、かつてのネガティヴなエネルギーが完璧に浄化されています。そして、いま、ここに感じられるのは「思い出」だけです。私は思わず、感動してしまいました。何があっても、どんなことがあっても、人間はたくましく生きて、そして塵の中から様々なものを創り上げて、生命を生み出している。私は、人間の中に宿る「神」を感じました。日本全国、いや、世界各国から送られてくる千羽鶴の塔は一つのモニュメントとなっており、ここで鳴らす鐘はある特定の周波数を持って鳴り響き、天界の天使たちに聞かれているに違いありませんでした。




もう一つ、広島にいて感じたのは、広島の人は非常に意志が強いということです。すでにご高齢になった被爆者の方や、地元で原爆の悲劇を親の代から語り継がれて来た方々などは、世界平和は主義主張の延長にあるのではなく、それ自体が一つの生き方になっており、アメリカや中国、ロシア、英国、フランスなどの核保有国に対して、毅然、猛然と意見を言っています。そして、老人に対して敬意を持ち、彼らが気持ちよくいられるように世話をして、彼らが苦労の人生を歩んで来たことを尊敬しているのがよくわかるのでした。

この後、呉に行き、呉の海辺である家族と親しくなりました。9歳の少女と若いお父さん、お母さん、そしておばちゃんです。少女は油絵を描いていました。大胆な色使いと構図、そして目に見えるものを心のイメージで抽象的に描きあげる腕前は、まさしく天才画家そのものです。彼女の絵に感心して見入っていると、その女の子が、私の手を取って一緒に「クレヨンしんちゃん」の本を読んで、というので一緒に座って声に出して本を読みました。クレヨンしんちゃんの声を真似してあげると、彼女は顔を輝かせて笑いました。お父さんは東京の出身で、レイキやクリスタルにも興味があり、お母さんのほうも同じようにスピリチュアルなことに興味があるけれど、広島ではなかなかそういうものに出会えないし、刺激がない毎日ですよ、東京はいいですね、と言っていました。女の子はいま学校へ行っていないそうです。話を聞くと、クラスでいじめにあい、学校に行けなくなってしまったのだそうです。それをどうしたものかと言いながら、なかば、彼女が好きなようにさせてあげたいというお母さんの気持ちが伝わってきます。

宇宙の法則では、自分が出したエネルギーは自分に返ってきます。それは時差がなく、瞬間的です。誰かを嫌うと嫌われます。子供がいじめに会っていたら、周りから見て馴染んでいないエネルギーを見つけてあげて、誤った方向、ネガティヴな方向へ行かないように気をつけてあげる、例えば、嫌いだとか、これは無理とか、不可能だとか、どうぜ駄目だから、等、ネガティヴなものを見つけたら、それをできるだけ、良い方向、ポジティヴな方向へ変えていってあげると自然とエネルギーは元のように流れ出します。学校では心の教育をしていません。学校で心の教育をしてしまうと思想教育になってしまうということで、できるだけ、学校では心に関することを教えないようになっています。ですから、自然に、悩みを持つようにセッティングされてしまっているのです。そういう社会システムのカラクリに気づいて行くことも必要ではないかと思います。

この後、近所の中華やさんでこの家族と一緒に夕食を食べました。呉は「大和ミュージアム」もできて、観光客でにぎわっていました。この町には光が感じられ、海もとてもきれいです。そして、多くの船を見ていると、この町は豊かさを享受しているなぁと感じます。町は小さいながらも小綺麗で、比較的裕福、そして、町自体に余裕があると感じられるのです。東京とはまったく違う、ゆったりした時の流れ。こうして、時々遠くの町に来て、その町のエネルギーをもらって帰るのもいいなぁ、と思いました。



miyuki