Miyuki's Grimoire
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2005年08月09日(火) 美の呼吸

きょうは、わたしが雑誌記者時代にお世話になったカメラマンの恩師のお見舞いに行って来た。リウマチで身体の痛みを訴えて、2週間ほど前から入院している。久々に会う恩師は髪は白く薄くなったものの、相変わらずの江戸っ子ぶりで、「よう!」と笑顔で迎えてくれた。75歳になった今、現役は引退しているが、現役時代ロック界では「世界のK.H」と呼ばれ、彼を慕うアーティストは多かった。つい先月も、アメリカの某有名バンドがプロモーションで来日することになり、写真を撮ることになっていたと聞いてビックリした。もちろん、ご指名だ。

来日の近くになってリウマチが痛み始め、取材をキャンセルしようとしたところに来日が延期になり、ちょうど良かった、と笑っていたが、さすがだわ、とわたしは思った。

この恩師と一緒に働いていた頃、何度となくミラクルを目撃した。どんなに時間が足りなくても、彼は素晴らしい写真を撮った。コンサートの写真でも、多くのカメラマンが、許可された頭3曲の撮影時間の間にカメラを何台も駆使して何本ものフィルムを撮りまくっているとき、彼はさっさとベストショットを撮って、1曲目が終わる頃にはいなくなっていることもあった。どんなに気難しいアーティストでも、彼のカメラの前に立つと、なぜか、とても自然な顔になり、心を許して写真を撮らせるのだった。楽屋裏だろうが、廊下だろうが、屋外だろうが、どんな状況でも、絶対に外さない、しかも、たった1枚の写真の中に、まるでマジックとも言えるような、誰も見たことのないような、そして本人でさえも知らない、その人のもっとも自然で内側から輝くような表情を見事に切り取るのだった。キレイな、カッコいいキメ写真を撮るカメラマンは多かったが、彼の写真は、表情の中にその人のドラマをしっかり捉えながら、年代もののワインみたいに芸術的で洗練されていた。

それをミラクル・ショット、とわたしは呼んでいた。この人の手にかかると、誰でもが本当に素敵に映った。わたしが写真を撮ってみたいと思うようになったのは、そんな恩師の写真をたくさん見ていたのがきっかけだった。どんな人にも、そして人生のどんな時でも、人間の中にはなにかすごい力があるのではないかということに、私は気づき、写真を見るたびに心が打たれるような気持ちになった。書くだけでなく、撮ってみたい、そう思うようになったのはわたしにとって、とても自然だった。恩師と同じメーカーの一番安いカメラを買い、写真を勉強したいから教えてほしいと頼んだのだった。

勉強、といっても、私が自分のカメラを持って現場に行くようになった以外はなにも変わらなかった。いつものように機材を一緒に運び、インタビューを終えて撮影時間になると、わたしはテープレコーダーを置いて、カメラを構え、恩師がカラーで撮影を始めたら、わたしも横からモノクロで撮影した。そうしたことを何度か繰り返しているうちに、だんだんとわかって来た。恩師は相手と呼吸をあわせる。自分の呼吸ではなく、相手の呼吸で撮るのだった。輝く瞬間を撮ろうと待ち構えたり、やたらに撮りまくっているわけでははなかった。ただシンプルに、心地よい調和したエネルギーの中で無駄なくシャッターを切っていた。この空気のなかで、相手は心地よく振る舞うことができ、自然に素顔が出て、その時のその人自身を撮らせるのだった。

撮影が終わった後、口が悪い恩師はよく「なんでぇ、アイツ、てんでへんなやつだったな! でも、なかなかいい顔しやがったな」なんてことを言っていた。これは大成功、という意味で、わたしはこんな言葉を聞くのがとても嬉しかったものだった。

久々に会った恩師といろいろな話をし、いま、自分が石の写真を撮っていることを話すと、「石はいいよなぁ、汗はかかねぇし、何時間撮ったって文句ひとつ言いやしねぇだろ」と笑った。たしかに、石は動かないし、話さないけれど、わたしにとってはいろんな表情があって、どこからどう撮ると一番美しく見えるか、どこから光が当たるときれいか、カメラのファインダーをのぞきながら、わたしは石のいろいろな顔を見て、その中でもっともいい顔を見つけてシャッターを切っている。それは、そのものの本来の姿を見るために自分のエネルギーを相手に合わせていくということであり、相手が人間だろうと石だろうと、あまり変わらない。かつて、この目の前の恩師が無言で教えてくれた、あのミラクル・ショットの呼吸が、いまのわたしの中にも生きていることを感じた。そして、それは写真を撮る時だけでなく、日常を通して無意識に自分のエネルギーを広げて行くのに役立っていることに気づいた。そのことに、わたしは感謝を述べた。

「人間はなぁ、頼まれるうちが華なんだ。俺も写真撮ってくれって、頼まれるうちが華だよな。何も頼まれなくなったら、ただ食べて、排泄して、呼吸しているってだけで、これは生きてるとは言わねぇ。そういうのは死に損ないって言うんだ」そんな話をしながら、別れ際に握手をしようと恩師の手を握った。すると、恩師は力をこめて両手でしっかりとわたしの手を握り返し「じゃあ、頼んだよ」と言うので、思わず「なにを??」と聞いたら、「元気で生きろってことだよ!」と言われた。

自分がどうしたい、こうしたいとか、自分の使命は何か、何をするべきかなんて考えるより、自分がいま出来ること、持っているツールのすべてを使ってベストを尽くし、ただ、シンプルにやるべきことを全うすること。ただ、やる。やるべきことをやる。これが世界に対する最上の奉仕なのだろう。はい、元気で頑張ります。頼まれるうちは!
 
恩師が撮影した写真の中でもわたしがもっとも大好きなこの奇跡の1枚を掲載します。見てください。




△ジョン・レノン&ポール・マッカートニー。1967年ロンドン、アビイロード・スタジオにて。photo by Koh Hasebe


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