Miyuki's Grimoire
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2004年12月21日(火) 「わたしは誰か?」

ある日、光のスピリットの世界へと意識が飛翔した。輝く虹色の玉、光の玉がたくさん空に浮かび、その一つひとつに個性があって、マスターたちや天使たち、光の存在たちがその玉に乗ってそれぞれの仕事をしていた。なんと、自分もそのなかのひとりだった。「こんな色がほしいな」「こんな光と出会いたいな」そう思った瞬間にその望みは目の前に現実化していく。それはそれは素晴らしい、ダイナミックな創造の世界だった。そこでわたしは必要な波動を集めて自分の創りたい宇宙をひとつ作り上げ、次々とその宇宙へ光を流していた。

そんなスピリットの世界から現実に戻って目を開けたとき、目が痛くて、目の前のものを見たとき、目に映るものすべてが虚構であると感じた。目の前の机や床や壁の絵、家具など、そうしたものすべてがあまりにも存在として希薄で、むなしいでもなく、戸惑うでもなく、なにか感情とも違う、不思議な違和感を感じた。

それらはきちんとある一定の法則に従って集められた「物」たちだった。それらを大切にしているのは「私」であり、「私」の好みに従って、「私」の生き方に従って集まった「物」たちだった。けれども、そこに意味を見い出しているのはあくまでも「私」の方であって、「物」自体にはなんの意味もない。そして「私」自身の肉体もまた、ここに「物」として存在していた。

肉体は「物」である。しかし、この肉体に意味を見ているのもまた「私」であり、どこまでいっても「私」のフィルターがかかっているのだった。

では、「私」とはなにか? 意味のない「物」に定義付けをしている「私」は何者なんだろうか? わたしが「私」と呼ぶのは誰なのか? 混乱しそうになる。答は心の内側から来た。

わたしは「私」ではない。

単純明快、「私」とは「肉体のパーソナリティ」のことだった。

わたしが「私」と思っていたのは「肉体のパーソナリティ(性格)」であって、本当のわたしではない。本当のわたしは魂の本質、というか、「スピリットのインディヴィジュアリティ(個性)」のほうだった。「肉体のパーソナリティ」は「スピリットの個性」が見ているもっとも遠い投影であり、自分の姿が米粒よりも小さな小さな、足下のミクロな存在なのだと感じられて仕方がなかった。「肉体のパーソナリティ」は自由に考えたり勝手な行動をしたりする。自分で好きなように「私」を作っていく。肉体を通して経験し、思考や感情を駆使して独特の価値観を創り上げ、次第にその「私」と一体化していく。

しかし、逆に言えば、見方を変えるだけで人は簡単に違う人間になる。これが自分だ、私はこういう性格で、こういう名前で、こういう仕事をしていて、これはこうで、あれはああで、こうでなければならないし、こうするべきだ・・・etc.,それらは全部、本当の自分とはなんの関係もない、単なる概念であり、自分を制限する殻であり、役にも立たない価値観なのだ。

人間は決して傷つかない。傷つくのは自分が「私」と思っている「肉体のパーソナリティ」の経験であって、魂はただ経験し、そしてどんな時でも成長を続ける。どんなに停滞しているように思えても、どんなに後退しているように思えても。

もしこの「肉体のパーソナリティ」にスピリットを吹き込んだら? 一瞬で、幸福と喜びが自分自身そのものになる・・・! 叫びだしたい気分だった。そうだ、自分を縛るのをやめればいいだけなのだ。そもそもが虚構の世界にいながらその上自分を制限するのは、まったくバカバカしい。もうやめよう! 「こうしなくちゃ」「ああしなくちゃ」というのは、本当にやめた、もうやめた、や〜めた!! 突然、ぷつっと糸が切れる。すると、次々に出てくる、出てくる。本当の自分の思いが。

わたしはみんなのことが好きだし、これから出会う誰かのことも好き。みなスピリット同士なんだから男だからとか女だからとか、年上だからとか年下だからとか、先輩とか後輩とか、ああだからこうだから、いろんな肩書きや、人種や国、なにもかも、すべてが関係なくなる。ハートからの思いに制限はないのだ。

人間関係や日常生活にストレスがある? でも、そのストレスを持っているのは誰? それは「肉体のパーソナリティ」であって、本当の自分じゃない。スピリットは肉体にぴったりくっついているけれど、スピリットの意志と肉体の意志は別ものだ。

改めて、問いかける。「わたしは何者か?」

わたしのスピリットが力強く答えた。

「わたしは、喜びと幸せの、情熱的な人生を生きることを望み、人間、そして地球を熱望したスピリット。愛を地球にもたらしに来た者。

大地を愛し、大地の名前をもらってこの地上に存在するもの。そして最大のパワーを持ってその仕事を成すために、光に奉仕する者。

それがわたしの真実です」

わたしのなかから深い歓喜がわき起こり、しばらく呆然としたあと、近い将来に計画していたことをすべて中止したくなった。人生の方向性を根底から覆して、長い間こだわり大事だと思っていたことも、全部手放したい衝動にかられた。「私」はスピリットを無理な方向へ導こうとしていた。そして、翌日、ある大きな計画を白紙に戻し、わたしは解放された。わたしは「私」から解放されたのだった。

わたしにあるのは、いまという瞬間だけだ。
これがどんなに自由で解放感に満ちているのか、言葉では語り尽くせない。

すべての女性は女神であり、またすべての男性は神である。
本当の自分自身を「私」から解き放ち、取り戻す。
わたしはいま、長い間探し求めていた失われた環を見つけた気がしている。


miyuki