Miyuki's Grimoire
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2002年11月06日(水) 石のなかの虹

3日間たおれた。

ミュンヘンでムール貝を食べて食あたりして以来、どうも体調が悪かったらしく、帰ってきたとたんに熱が出て、寝込んでしまった。こんなに寝たのは久しぶりだから良かったね、とも言えるんだけど、ちょうどいま、銀河の活性化の門があいていたため、熱に浮かされて見る夢は悪夢ばかりだった。

銀河の活性化の門があいている時というのは、ふだんよりも意識がクリアーになり、直感も冴えて、シンクロニシティが起こりやすくなる。ということは、宇宙の高い次元にアクセスでき、その高いエネルギーを現実の生活に創造性として反映するこたができる、たいへん貴重な期間だということだ。しかし、今回は熱が出て意識がぼんやりしていたため、潜在的な集合無意識にアクセスしてしまった。怒りや悲しみ、孤独感、そして漠然とした不安。それらが一気にやってきて、気持ちは落ち着かず、かといって身動きできず、ひどく怖い思いをした。3日間寝込んだあと、やっと熱が下がり、意識がはっきりしたとき、それらは自分のものではなかったことに気がついた。

これらの感情を作り出した原因となる集合的な出来事とは、考えられるのはふたつ。ひとつは、北朝鮮の拉致問題。そして、もうひとつは日本経済の大低迷。どちらも、出口の見えない大きな問題だ。様々な人の立場と思いが交錯しあって、希望を見いだそうにも、その手がかりすら見つけられない。否定的で、破滅的な感情と想念の壁・・・ここから抜け出すには、そうした集合的なエネルギーに、いち個人としての自分が吸い込まれないよう、できるだけグラウンディングし、意識を別の次元に保つしかない。

そして、透明のクリスタルを手に取り、石なかの虹を見る。この世でこれほど単純で美しい被造物はない。完全な美、永遠のときのなかで結晶化した天の光。石のなかの虹をみるとき、心ざわめくことがらを忘れ、いつのまにか世界の美しさと彩りをもう一度思い出させられる。「どんなに世界がひどくみえても、それでも、世界はこの石のように完全なのだ。どんなに人のこころが神から離れても、それでも、わたしは世界を愛しているのだ」と、天のどこかで「いと高き方」が声なき声を聞かせてくれる・・・


miyuki