言葉の杜 Diary

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                          琴 音


2006年09月13日(水) 娘に期待すること

ご多分に漏れず(?)娘を見る時、その基準は「私」だ。
自分の子どもではあっても、娘は娘、私は私で別人格であることは百も承知なのだが。
かつて私に出来たことは、軽々とできると思っていて、苦手だったことは大変なんだろうなぁ、と思ってしまうのだ。

私は、今でこそこんないつ更新されるかわからないような日記しか書けないけれど、子どもの頃は、それはそれはちゃんと日記を書いていた、毎日。
そのおかげで文章を書くことを苦痛だと思ったことは全くない。
作文の授業は楽しみだったし、読書感想文なんて、書くのは面倒に思ったことはあっても苦痛とは程遠かった。

1年生の頃から放課後は図書室に通いつめ、端から順番に本を借りて帰っていた。
一度読み始めると何を言われても聞く耳を持たず、そのことで母によく叱られた。
誕生日やクリスマスに買ってもらうのは必ず創作童話の新刊。
いいかげん読むのは止めて○○をしなさい、とは言われても、本を読めと言われたことはない。

宿題も時間割も下に弟がいたこともあったが、親に言われてやったことはない。
・・・忘れ物をして学校から青くなって電話をかけて届けてもらったことはあるけれど(笑)。

でも、これら全てが娘にはできない。

更に、添削問題をやらせれば、文章読解が全くできない。
問題の長文を自分の力で読めないのだ。

あー、一体この子は誰の血を引いたんだ、と思ってしまう。

ところが、彼女は絵が大好きで、暇さえあれば何か描く。
学校の授業で描かなきゃならないから仕方なく、しか描いたことがない私とはえらい違い。
添削問題も今のところ滞りなく(?)提出している。
これは私がうるさいからやっているところもあるが、実は、私は中学・高校と何となく取ってもらったような気がするが、一度も課題を提出したことがない。
数年前に取った保育士試験の添削問題も課題を出していない。
友達づきあいに関しても、きつい言葉でもめるところは私と似ているが、相手に関して「もう許さん!」とずっとそれが尾を引く私に対して彼女は「また、いつかは仲良くなれる」と寛大で、それが実を結んだりしている。

こういう自分にないところは「す、すごいじゃないかっ!」と思うのだ。

でも、やはりどうしてもできないことを数えてしまう。

娘には、自分ができたことは難なくこなしてもらって、更にできなかったことまでできるようになって欲しい、そんな風に期待しているのだな、と思う。
それは娘にとってはどうなんだろう。

今のところ「お母さんは苦手で私は得意」なことを「お母さんに自慢する」のが嬉しいらしいのだけどね。


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