| 2006年07月13日(木) |
「日本という国」と「エリート靖国へ行く」 |
昨日の日記でもわかるように、私の考えは揺れ動きやすい。 私の意見ってなんだろう〜ていつも思う。 もちろん、ここ何十年と変わっていない自信?のある意見や考え方もあるけどね。 それを書いたら、ちょっと問題あるから、書かないけどね。
文芸春秋6月号 2006年の「エリート靖国へ行く」を読んでいた。 国際リーダーの卵、64名が見た日本の不思議〜とあるように、 ハーバード大学の国際政治リーダー養成機関のケネディ行政大学院から来たさまざまな国の20代から40代の人が日本へ訪れた時の様子が書かれている。 戦争、拉致問題や靖国神社参拝まで、日本人がなんとなくそうかな、と思っていることに対して、全くシンプルな疑問や答えが飛び出てくる。 レバノンの人は、靖国参拝を、中国や韓国から、非難されて当たり前。占領したのだからと答え、パレスチナ自治区やシリア、レバノンの一部地域を占領していたイスラエルになぞられる。「今日、イスラエルが撤退したとしても、その謝罪には最低でも200年、400年かかると思います〜略〜日本は戦後60年でしょ。怒られるのは当然」と語り、メキシコの方は「宗教と政治が分離しているはずだから、参拝はおかしい。」といい「メキシコの大統領が教会に行くときは家族と行くので、大統領としての礼拝か?とは聞かれない」と続く。 なるほどね。
いろんな国のいろんな考え方(でも国を代表してきたわけではないし、単なる学生なので、国の考え方と思ってもアカンと思うけど。しかもライターさんの視点を信じたらかなりお気楽そうなイメージ)を読みつつ タイムリーにまたもやよりみちパン・セの「日本という国」小熊 英二 理論社 2006年を読んでいる。
中学生くらいに向けてわかりやすく、そして考え方ができるだけ隔たらないように、注意深く書かれていると思われます。 そして、上記で触れたように靖国参拝について、また違った視点で考えるように示唆されている。
この本を読むと日本の教育の流れが(大雑把だけど)改めて理解できて、今私が教育に対して、漠然と「おかしい」と思っている謎が少し解けた(気がしている)
自分だけでは、わからない、考えもまとまらないので、 教育を受けてみる、本を読んでみる、人と話してみるといいなと改めて思う。
1つ言えることは、 この世に存在して生きる者全ては、自分の為に生きている。 自分の利益になる、自分の保身のためになら、どんな無茶だってやってのける。 そんな人や国が大部分で当たり前なのだということかな。どこかの国だけじゃないのよ。 また自分のタメに生きようとしなかったら、それもおかしいしね。 自分がよりよく、生き易いように、努力や思考をする訓練をしてないから 他人を傷つけたり、自分を傷つけているような気がする。
「自分が!自分が!」と遠慮なくやっているものと、対等に渡り合って、自分の大切なものを奪われず、平和に生きていこうと思うなら やはり、よっぽどの覚悟と知恵を身につけないとダメってことだね。 でも、イキナリ親や先生など周囲の大人がそんなんだったら、生きるスキルも磨けないよね。困ったことだと思う。 今ってまさにそんな大人で飽和している。
改めて、本当に恐ろしい世界だと思う。 だからこそ、教育で、世界平和、平等という理想を知らせて、何かのきっかけで一時的に利己的に走ったとしても、気付いて、戻らせる力を養うといいと思う。
|