| 2004年09月22日(水) |
負け犬よりもキリギリス |
思ったとおり「負け犬」という言葉は世間で話題になり、波及していっている。 結構いろんな人の前で使って見ましたが・・結構使いにくい言葉です。 「負け犬」ですから、というと「そんなことないよ」と心配そうに慰めてくれる人と 「そんな言葉大嫌い。」と過剰に反応する人といますが、そういう人の前では使いたくない言葉です。
そもそも「負け犬」という言葉の意味って何?と、わかっているようで正確には知らないことに気付いたので調べて見ると 「けんかに負けて、しっぽを巻いて逃げる犬。比喩に用いて、競争などに負けて引き下がる者に使う」と小学館国語大辞典に書いてありました。
はたして未婚・子なし30代女性はケンカをしたのでしょうか? ケンカをしてもいないから「負け犬」になっている気もしますが、どうなんでしょう。 しかし、この世に生まれ出た瞬間から勝負の土俵に乗せられているともいえるしなあ。
ケンカをして、それでも「勝ち犬」になれなくて、もう勝負を投げてしまった場合は「負け犬」という表現は正しいかもな〜なんて思ったり。でもそれこそひどい表現になってしまうかもしれない、死人にムチ打つような・・言葉って難しい。
でも、人生とか恋愛とかしばし勝負事のように置きかえられるから、勝ち負けという表現は正当なのかもしれないねえ。 私は、結構ケンカした方かもしれません。やる気のない、勝とうという気概の少なめなケンカでしたが・・ 勝者に結婚という副賞(?あまりよい賞品とは限らない気がする)が与えられるのなら、私はまさに戦っているその瞬間が楽しい気がしていて 戦いは終わらないで欲しいし、「オラ戦いてぇだ」とスーパーサイヤ人のように次ぎの相手を求めがちなタイプかもしれません。(あ、まるで恋多き女みあいな印象与えてしまうかも。それは違いますよん) とにかくそういう事を踏まえると私は負け犬かもしれないわ。勝ちたいと思わない生涯負け犬かも。
そんな深い?負け犬より、私は周囲の人に自分の状況をやや遠慮して伝える場合は昔から 「蟻とキリギリスのキリギリスだから」と言うようにしています。単純明快です。 人生は誰にも等しく幸福と不幸が配分されているのなら、このイソップ寓話の方がツボをついているのではないかとひそかに思うのであります。 ただこの寓話のように、必ずしも蟻が幸せな冬を送ったり、キリギリスは冬の寒空に野たれ死ぬとは限らないと思います。 親切な蟻もいるかもしれないし、ちょっと頭を使って楽しているようでも、見えない所で努力しているハイブリッド・キリギリスもいるかもしれないからです。 私は犬ではなく、キリギリスで行こうと思います。どちらかというとハイブリッドキリギリスで行きたいです。(希望)
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