で「エリザベート」のこの部分の歌詞では、どちらも人間関係で勉強してないんだな、っとわかる。 ま、この時点で若いから当たり前なんだけど、年取っても譲らなかったから、全然お互いの気持ちてわからなかったんだろうな。 譲る気も無かったんだろうけど。でも、実際の2人は晩年おだやかに暮らしたって何かで見たような。 子どももやはり物心ついてから育てるよりも、小さい時から一緒だったほうが自然らしくて 末娘とは本当に家族らしくしていたというし。 史実とは別に、ミュージカルでは晩年は「夜のボート」の場面を参考にしています。
男女で夫婦という関係で、最初に書いた作戦が通用するかは私も試したこと無いからわからんけど とにかく、「私の身になってよ」と感情に訴えている間はうまくいくわけないと思うな。 「姑にいじめられて困っている私をわかって」と伴侶にいっても 「母はアドバイスしているだけだよ」と全くわからないのも仕方ないなあ。 自分にとっては赤の他人だけど、彼にとっては母親で気の置けない肉親なのだから。 それでエリザエートは具体的に何がどういやか、手紙に書き、交換条件を出したから 希望はとおったんだろうけど、感情までは理解してくれたわけじゃないから、やはり不満が残るんだろうね。 あそこまで性格違ったら、もう理解は困難なんだと思う。
相手の目に何が映ってるか、なんて本当にわからないし、同じものを見ていると 錯覚している場合は、理解はさらに困難になるからね。
同じ場所にいて、同じものを見ていても、感じていることは全く違う。ってことが印象的だったのは 「28年目のハーフタイム」というドキュメンタリー。アトランタ五輪でサッカーの日本代表のことを書いた話で 私が一番感心した部分は、ロッカールームで起きたちょっとした事件を 監督をはじめ、選手たちがそれぞれ、全然違う受け止め方をしていることがインタビューによってよくわかり、 同じ目標に向かって、ずっと一緒に行動してきた人々でもこれくらいの差が生じてるのねと興味深かった。 コミュニケーションって本当に難しいし、重要だわと。
「自分はこういうつもりで話した」つもりでも、相手はそれを全然、受け取っていない場合がある。 はっきりいって聞いてないかも。聞く耳持たないのか、理解できないのか、流して忘れたのか それすらも不明なのですが、対人関係では全然珍しいことではない。 比較的、気の合う人の間でもそれは日常茶飯事である。
でも、そういう事がわかりやすく書いている本てあまりないかな。 京極さんの「ウブ女の夏」もそのようなことが書かれている小説だけど、あれはフィクションだから ちょっと、視点がズレちゃう。でも面白いけど。
とにかく、相手に私の気持ちをわかってもらおうなんて、考えるのをやめた時から人生は豊かになるかもしれないと私は思うのでした。 えらく寂しい話しですか?いえ、だから同類項のゾーンが広い人と、重なる部分で楽しく暮らせば良いのです。 全くそういう部分がない人に、力技で理解させよとすることをやめて、その人はあるがままにして 触らないようにしたほうが、絶対に無駄なエネルギーは使わないで済むし、哀しくなくなりますよ。 理解と愛情のあるなしは別ものだと思って。
家族にわかってくれない人がいる?それは不幸だね。でも人間あきらめが肝心です。 でも図とか自分の説明能力を高めたら、多少は分かってもらえるかもしれません。 論より証拠、と言う場合もあるし、具体的な見本や資料があったら更に効果的です。 学校の先生が分数を教える時のように、工夫を凝らしてみてください。 ちょっと成功した時があります。全くダメではありません。 希望は箱の奥底にあるものです・・・そういう方面ではがんばれ!と応援させていただきます。
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