「怒りの方法」 辛 淑玉 岩波新書
この方の活躍は詳しくは知らない。でも、雑誌で彼女の生い立ちと子どもの頃の話を読み強い印象を残した。
以前、日記に書いたことがある、「読書と体験」の関連で、実際の体験は読書の数倍威力があるという事を 言ったら、知人男性に「読書で十分だ!」というような反論をされた経緯があるが、そのきっかけとなったのは 忘れもしない、この方の話からだった。(詳しいことは失念) 読書と体験の話は、今までもさんざん書いてきたから、省くけど。
この本を手に取り、前半を読んで(まだ完読ではないが)、改めてあの知人男性のマジョリティ側の意見を思い出す。 そんなことを思い出す以前に、マイノリティである側の苦しみ、悲しみをクラクラしながらもなんとか、しっかり読むのだ。
序文は彼女の考え方と今にいたる話だが、それだけでもかなり読みでがあるけど本題は正しい怒り方について やはり少し前の日記に「自分の気持ちを正しく言葉で伝える技術があれば、世の中少しは平和なんじゃ」と書いたけど 怒りもそれと同じ。
怒りは堪えたり、ためると身体によくありません。 「腰痛は怒りだ」という説があって、本にもなっているくらいです。 自分の身体にも不都合が起きますが、その溜まりに溜まったエネルギーが一気に他人に向かうと 恐ろしいことになると、この本に例をあげて書かれています。 そして怒りの種類とか為になることばかり。 私もまだまだ意識が低いので、目からうろこです。 自分の身を守る為に、読んでおいて損はないでしょう。
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毎日、毎日想像を超えた事件が起きて、目や耳から飛び込んできます。 やはり早急に怒りや苦しみの感情(自分の気持ち)を暴力でなく解決できるように 教育、対策、方法をあみださないと・・とは思うものの。 多くの人々が、腹を立てたり、嫌なことをされたからといってそういう行動に出ることはないと思うので そういう行動に向かう人に、どう教えて行くのか、どう変えていくのかなど 考えて、実行することは非常に困難なのかもしれないとも思っています。
プログラム作成でも、通常の動きに関しては予測がつき、テストでもなんでもできるのですけど エラーについて、これが難しいのです。 想像のできる範囲で、できるだけのエラーを想定してテストしたり、対策するのですけど 人間の想像を超えたエラーはどうしても起きてしまうので、その都度対策を練らなければならない事が多いのです。
人が作ったコンピューターですら、想像外なことがあって当たり前で、 それならもっとわからない人間・他人のエラーをおこさないように努力するということは なんと気の遠くなる作業なのかと思ったりするのは不謹慎なのでしょううか。
自分を育てるのは、自分だと私は思います。 子どもでも、大人たちが助力はしなくてはいけないでしょうが それは押しつけや型どおりなものではないものがいいのでしょう。 だからこそ難しく、のるかそるかな部分が多いのかもしれません。
何事もなく、平凡にすごせていることが奇跡のような昨今。 何も変わることがないことに感謝せずにはいられません。
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