だから猫が飼いたいのに・・

2004年05月26日(水) 3)された側とした側、いじめ・妬みがらみ。

被害者と加害者と読んでもいい。またもやこの手の話であるが、どうしても書きたい。

いじめられた者といじめた者。私はどちらにも属している。
いじめられた方が圧倒的に長い年数だが、一時、一瞬でもいじめた側になったこともある。

どちらかというと、イヤなことをされたから、私もイヤなことをし返したという事になるので
理由無きいじめではなかったと思うがなんとなくイケすかない、という理由で感じ悪くしたこともあったので
相手からしたら、私も多数のいじめた人に思われて、恨まれているだろう。
恨まれていても仕方ないと思うし、とても反省している。
(小学生の時、クラスメイト女子に女王様のようにいじめる、と先生に言いつけられた事がある。かなりやばい)

そんな一瞬だけでもイジメ側に回ってしまったこともあるが、北極の短い夏のような、瞬きするが如くで
あとはエンドレスイジメ地獄。小学校・中学校・少しだけ高校・会社にはいってもあったなあ・・
今となってはしょうもない理由(妬み)としょうもない人間からイジメられていたので、あの時の私に会えるのなら
「何、くよくよしてんねん。一発どついたれ!」とでも言いたいものだ。

だが中学のイジメはヤバかった。集団でクラスの男子から猛烈にイジメられた。(全員に思えた。本当は違うと思うが)
理由はよくわからないが、まあ私が憎かったのだろう。集団から浮いていたというか。
ヤ○キー女子も少し加わる。私はヤン○ーにとっても逆モテな女だったからだ。
というか同年の女に嫌われるし、たまに男にも憎まれる女だった。(カルマ?)
そんなのがあったから、イジメる側にはもうならない、って誓い、実行できた。
そして過去に意地悪をした女子に対して、今も罪悪感があるし、忘れていない。
もし再会することがあったら謝るだろう。

私はイジメられている最中に不登校になったり、どうにかなっちゃおうかな、とは思わなかった。
無理やり、意地で学校にも通いつづけた。

そして(1)に書いたけど、親にも早々にいじめにあっていることを伝えた。
親に恥をかかす事を非常に恐れていた子どもなので(親が怖かったからか?)
他人から「お宅のお嬢さんたら、学校でいじめにあってるよ、ご存知無いの?」とでも言われたら
とっても恥ずかしいんじゃないかと、思ったのだ。
自分の子どものことも知らないのんきな母親という烙印を押されてしまう。
だから「ええ知ってますとも!」と母には自身満々で答えて欲しいとの願いがあった。

そして自殺は出来ないと思っていた。非常に毎日辛く、苦しかったが、
私がもし死んだりなんかしたら、兄弟の就職・結婚などに大きく影響が出るかもしれないと恐れたからだ。
家族に迷惑をかけてはいけない。とまたなんか中学生らしからぬ考えだったかもしれない。

親に言っても何も解決などあろうはずもなく、(母親はこっそりクラスの担任に話しをしにいったみたいだが
何にもしてくれなかった。悪い教師ではなかったが、毒にも薬にもならない、平凡な善人といえよう)
そんなわけで、私はなんとか自分で解決して、私はイジメられなくなった。

何事もなかったように、穏やかになったクラスメイトたち。
女子も男子も私をイジメていたなんて、すっかり忘れたかのように普通に話すようになっていた。

それはそれでありがたいけど、私もそうなるように努力したからね。
でも、悪いけど、今あれからどれだけの時間が過ぎても私は忘れてなんかいない。
あの残酷で惨めな日々を。人を呪った日々を。
(人を呪わば穴2つというけど、呪わずにはいられませんでしたよ。心が弱いからね。)

そんな事を書きながら、なんとなく陶酔しているので
私の心のネジはやはりどこか歪んでいるのかもしれない。

いじめた男子の親が私の親と今でも付き合いがあって話題に出る。
そのたびに「ああ、この親は自分の息子が親しくしている人の娘を強烈にいじめていたことなんて、
全く知らなかった、のんき者なんだなあ」なんて思ったりしている。やっぱり歪んでいるかもね。

今更、何をどうしようとも思わないけど、
謝って欲しいとか、復讐したいとかなんて、露ほども思わないけど
だからって、あの日々を、いじめた人を忘れる事もできないんだよね。
だから、こうして日記に書いたり、親しい友人に話してみたりする。
やっぱり痛手は大きかったという事なのかもしれないね。

今、私は幸せに暮らしているし、別に重大な不満や何かに追われているわけでもないけど
だからって、何もなかったことにはできないのよね。
これって心が狭いのでしょうか。狭いですね。

他人はきっというでしょう。
そんな事いつまでも覚えていないで、早く忘れてしまえと
でも、自分の尊厳を壊されるようなことをされた場合、そう簡単には忘れられないのです。

相手の身になって考える。
教育の常套句ですが、いかに至難の技かということも、同時に教えないといけないのではないかと思うのです。

繰り返しますが、毎日こんな事を考えているわけでなく、復讐に燃えているわけでは有りません。
おかげさまで、最近は健康状態も良好で、快食快眠、毎日結構に暮らさせていただいています。
それとこれとは別次元という事になりますね。思い出話として、一つの例え話として読んでいただければ幸いです。


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