今日は朝から、仕事でトラブル発生。 月末からとかっかっていた、私が扱う仕事の中ではかなり難度の高い仕事。 それは他の部所の担当者3者と折り合いをつけないといけないから。
そういう他部所との兼ね合いのある仕事をすると 本来味方であるはずの者のいいかげんさも手伝って、いつも煮え湯を飲まされ 以前なら、こめかみに怒りマークが出ていたと思うのだけど 何年も勤続していると慣れもあるし、ある程度は相手の出方もわかってきて、 今回はだから、ほとんど私の気持ちは揺れ動くことなく、 水面にはさざなみも起きず、冷静に話しを聞き、対処できた。
うっとおしい仕事であり、気持ちもさっぱりとはしないけど この時、確かに私は、何かを脱ぎ捨てられた気がする。 仕事の事だけでなく、物の考え方、捉え方でどうしてもできなかったこと。 それは今までも振りだけはしていたけど、本日は心底から受け流すことができていた。
仕事上で、相手が正しくない、おかしな言いかがりをつけられたとしても それは、相手の言い分でしかないのだから いちいち、それに対してこちらも怒ることや、凹むことはないのだと。 相手の間違いとか心得違いがどうしても許せなかった事が今ではばかばかしい。 自分の正しさと相手の否を認めさせることを一緒にしてはいけない。
私が一人でここの仕事を背負ってきたわけではないのだから できないことはできないといえばいいのだ。 と当たり前の事で、今更なのだけど・・・ どこか自分が「できない」ことに罪悪感があった。恐怖感ともいえる。 そして、できないというより、自分の正しいと思った事が通らないこと、が我慢ならなかったのかもしれない。
でもそうした、「なんでもやってしまえる」ことが自分を追い詰めていたと今ではわかる。 私一人いなくても、会社は回る。 私がいなくても、この会社は続いていく。 ずっと呪文のように唱えていた、当たり前の事実を心の底から実感して行動できている。
責任感があるとか、真面目な性格とか、他にやる人がいないからとか どうして、自らがこんな風にいろいろ物事を決めたり、実現してきたのか 理由はたくさんあるかもしれないけど。
もう誰も私のことを叱ってくれない状況だけど、叱られることが嫌いでやってきたから 今はありがたいと思っている。 そして、必要以上に、完璧にがんばらなくては、と思いつめていたこともわかる。
だからといって、私だってできない事、時はあるのだし それで、私の価値が下がるのではないのだと、やっと思えた。 私もまだまだ小さい子どものようだなあと、こういう時に思う。
でも、わかったから、春から幸先がよい気がしました。
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