| 2003年03月31日(月) |
土曜日のピーター流わくわく旅行術・・・の続きです。 |
旅行とは別にちょっと気になった内容もあるのですが、第1章の中に「考えないほうが楽」という節があります。 個人で計画を立てて旅行するよりも、パックツアーで行く方が何も考えずに、自分で選択決断せずにいくことは楽なことだということから始まり、第一時世界大戦後のファシズムの台頭などから「人間は自ら自由から逃げる性質を持っている」という心理学の面からの研究のことにも触れて、そうして選択を避けていると「洗脳」されやすい状況がやってくるという節へ移行します。
少し話しは変わりますが、先日、東京に出て新宿地下街を歩いていたら、あらゆる食べ物、洋服、雑貨、いろんな店がそれはもうお祭りのように溢れていて、モノの洪水に感じ少しクラクラしながら「都会の人は大変だ。」と思いました。現在住んでいる近畿でもデパートや店は沢山有るけど、その比ではないような気がしました。 そして私はというと、そんな近畿圏でですらと選ぶ作業を困難に感じていて、決まった店で品物を購入するのようになってしました。 ブティックや雑貨屋、書店などどこへ行っても沢山同じような品物が並んでいる。そんな買物空間で値段も品質も際だった変化はなかなか認められません。いいものをより安く!というパワフルな時期もありまして、同じような商品なら少しでも安いほうが、とアチコチ見比べたりして・・・。でもより一層流行の短命化、商品の横並びは加速する一方で選んでいる内に商品は古ぼけて行くようになっています。そんな調子なのでいつしか、決まった店でそこにあるものを買う方が時間と体力の無駄使いが減らせると思い、実行していました。これは選択から逃げていることになるのだろうか? そういえば、昨日は脱マンネリズムで新たに美味しい食べ物を〜と求めて新規開拓してみたら見事に外れました。これならいつもの行きつけの店にいった方が、労力とお金を無駄に失うことはなかったなと。
私は買物や外で美味しいものを食べたりとか大好きなので、清貧とかシンプルイズベストとかそういう事を絶賛するつもりではないですけど、今以上状況に拍車がかかるのなら、街へでかけるのが怖くなってしまうかもしれず、図らずも清貧思想になってしまうかも・・・あ、でもそうするとお金が貯まるからいいかもしれない。 とにかく同じような商品の中から1つ選ばないといけない感じは拷問のように思えるのでした。 元から「なんでもいい」として選ぶ以前の人もいるから、選択から自由な人もいるだろうけど。
とにかくそんな緊迫した選択をせまられる世界で、選ぶことの出来ない人々は何らかのお墨付きのものか、皆が持っているものを選びがちになり、ますます多様性が失われてしまう気もします。 とんでもなくお高いブランド物が飛ぶように売れるという状況は当然の結果かともいえる。そのカテゴリーの中でなら選ぶのは楽なのです。皆がもっていたり、有名なだれそれさんのお墨付きもあったりするのですから、普段から「選ぶ」事をなるべく避けている人々なら、尚更そういう方向へ傾いていくものだと理解しやすいかもしれません。
今より少し前あらゆるメディアで、ブッシュ大統領の相当なキリスト教信者な話やアメリカ人の一部の人々(だと思う)がどれほど神に依存して生きているかという文言を目にする機会も増えたと思います。 その中の1つとしてこの本にはかなりインパクトのある逸話が載っています。(2002年6月に発行された本です) 前置きが長い!ここからが本の話題にやっと戻るのよ。
ピーターさんがアメリカから来た旧友夫婦に自宅を宿として提供したら「あなたがわたしたちを泊めてくれた事に対して神様に感謝します」というメモが残してあったという件で、個人と個人の直接の関係でなく、神との関係を通してでないと人との関係を考えないのかと悲しく感じたということでした。
なるほど、信者というものはそういう考え方をするのだ、と目からウロコが・・・。もちろん全員がそうではないでしょうしけど、 100歩譲って考えてみたのは、その夫婦はピーターさんに・も、もちろん感謝しているのだろうけど、それを表す表現が今イチというか、既に相手が喜ぶだろう言葉を紡げなくなっているという事が問題なのではないかと思います。 私はそちらの宗教に詳しいわけではないので、これはあくまで想像なんですけど、その「〜神に感謝します〜」というのが、その宗教を信じている人の間では、最高のお礼の言葉というか、常套句として認識されている、つまり専門用語かもしれないから、そうすると最高のお礼になるかもしれないなぁ〜と慮ったりしたのです。 そして浮上するのは、より恐ろしいことなのですけど、それは自分たちの言葉が相手にも通用すると信じ込んでいるところなのです。 専門用語で話したがる人がいますが、そういう人って浮いているよね。専門用語や隠語などその世界だけで使い、遊ぶなら楽しいけどねえ。自分趣味の世界の用語を多用して、自己満足している人って嫌われますよねぇ〜。でも自分たちが世界の中心にいると思い込んでいる人には何のことかサッパリわっかりませ〜んなのかもしれません。 「知っていて当然」「そんなことも知らないの?」的優越感が見え隠れしてイヤな気配です。 自分の言葉で語れない、オリジナリティーの欠如と相手の気持、状況を思いやれない、想像力の欠如。ダブル欠如に脱力っす。
等とやや話が飛躍しすぎで、周りくどく書いてしまったけど、シンプルに驚きました。前述の夫婦がキドリを見せているのならまだただの見栄坊かと哀れんで見せたりもできるけど、天然なら心底心が冷えますね。多分後者だろうけど。 「お前らを泊めたんはワシじゃ〜〜!」と私なら頭にきて、周囲に吹聴してまわるかもしれません。いやする。 あ、でもピーターさんは出版してるんだから,更に上手だね(笑)参考に、その後にもフィリピンでの信仰の有無についての話も載っていましたがこちらも頭が痛くなる話です。ホント。
「洗脳」というと言葉が非日常で遠い世界に感じるのですけど、自分にとっての当たり前がどこにでも通用すると思い込んでいる。そしてそれを押しとおし実行するというのは、考える事をやめて、なんらかの当たり前に洗脳されている状況ともいえなくないなあ。 よりかかると楽だよね〜。「私じゃないの、神様がそうしろとおっしゃるから。」なんてね。 ブランドに寄りかかるというのも同類項かもしれないね。ブランド神話がある限り続きそうです。
長い、旅行の楽しい話しだったはずなのに、違うところにひっかかってしまった。 楽なほうへ流されたい〜と自由の厳しさを知っている私なのですが、流れに添うどころか逆行している自分。 それでもこの日常に慣れてしまう、その習慣的なことから逃れる為に旅に出ているのかもしれません。 な〜んてな。ただの楽しみ、リフレッシュさ。本当。旅はいいです。
本当に長くなってしまった。日記2日分だよ・・・
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