友達に最近の決意を知らせた所、「今まで気付かなくて申し訳ない気分」とか「(決まった後の話しで)何も出来なくて悲しい」という反応があった。 何だかこちらの方が申し訳なくなってしまったのだけど……。 私はとにかく人に相談すると言う事が苦手だ。嫌いだ、と言ってもいいかもしれない。それは相手を信用しているとかしていないに関わらず。 結局決めるのは自分でしかない、と思っているからだろうか。 私がするとすべて相談ではなくほとんどが報告になってしまう。精々八割方決まった方向の、どうしていいかわからない残りのニ割を冷静な目で見て欲しいと望むくらいだ。 この度も色々と話しを聞いてもらった方は沢山いるが、話題を持ち出した時点でほとんど気持ちは決まっていた。
例えるなら、京都に旅行に行く事が決まっていて新幹線もホテルも取った、しかし自由な時間にどの名所旧跡を見たらいいか迷っていて、アドバイスを受けるという状態だ。 中には京都に住んでいる人も、住んではいないけれど京都を何度も訪れていて詳しい人も、ガイドブックを横目で眺めた程度の人もいるだろう。 それぞれに行きたい京都は違うかもしれない、それを聞きたい。 どこに旅行に行くかも決まらない内に人に相談して何になるだろう。
逆に相談されるのは好きでも嫌いでもない。好きな人からの相談なら多少は肩入れしてしまうだろうけど、なるべく思いつく限りの可能性を羅列するようにしている。出来ているかどうかは別にして。 若い頃は今以上の分析好きだったから、自分の事は棚に上げて色々偉そうな事を言ったものだ。 やっぱり冷たいというか薄情なんだろうな、と少しだけ自分がいやになる事もあるけれど。
年と共に単純になって行く。昔なら報告する時には本当に全て終わっている時だった。シンプルな方が構造的には強い。はず。
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