ねぎぼう業務日報

2003年10月27日(月) セレッソ前夜

先日「がんばって」入手したヤンマーサッカークラブの
ハンドブックが今日納品されました。

'93年のヤンマーはJ1リーグが戦う舞台でした。
J1リーグとは「JFL1部」のことです。
当時はJリーグの発足に伴い、JSLが発展的解消し、
Jリーグに参加できなかったチームと参加するつもりのなかった
チームが「ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)」に
参加しました。ジャパンフットボールリーグはJリーグの
2ディヴィジョン化に伴って、これまた発展的解消、
「日本フットボールリーグ(新JFL)」となります。
この旧JFLは発足当時は2部制で、J1リーグ下位とJ2リーグ
上位との入替もあり、さらにJ2リーグ下位は地域リーグとの
入替もありました。

ちょうどヤンマーはJSL末期に2部降格の憂き目にあい、
なんとか立て直して1部復帰を果たしたところで、Jリーグ
オリジナルの10チームから漏れ(たらしいです)、
J1リーグで戦うこととなりましたが、このときにも
主力選手はだいぶ移籍していったようです。伊藤、梶野兄、
草木などはそうでしょう。その副産物として
「また、若手では、成長著しい森島、濁澤に加え、皆本、塚本、
川前らもレギュラーに定着、チームの”若がえり”が実現した。」
(ガイドブック本文より)

当時すでに「サッカープロ化推進室」が発足していたのですが、
リーグ戦では当時すでにJリーグ準会員であった、フジタ、磐田、
柏の後塵を拝する状態でした。
そんな中でも「1995年のJリーグデビュー」を明記し、
そのとおり実現したというのは、たいしたものだと思います。
実際、93年には7位。Jリーグどころか、J2リーグ降格も
ちらつくような星勘定でした。J2リーグから脱退するチームが
出たのと、J1リーグからJリーグに昇格するチームがでて
チーム数が減ったため、JFLは1部・2部が合併。
大所帯なリーグになっていきます。
ヤンマーサッカークラブも「大阪サッカークラブ」として
独立法人化(といっていいんでしょうね)、伝統の赤の
ユニフォームにだいぶ「白が混じる」ことになります。

そんな時代のヤンマーの最後の1ページを手にすることができ、
感無量です・・・


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