| 2003年10月16日(木) |
セントラルリーグ初の指名打者 |
阪神は実は「セ・リーグで初めて指名打者制の公式戦を 戦ったチーム」です。
日本シリーズはパ・リーグが指名打者制を採用した後も 投手が打席に立っていたのですが、 1985年に初めて日本シリーズにも指名打者制が 採用されました。そのときはシリーズとおして DH制で、翌年はnon−DH制。 同一シリーズで、リーグ代表のホームでそのリーグの 打者制度をとるようになるのは後の話です。
当時の阪神打線は伝説にもなっている強力打線。 1番右翼真弓、2番中堅弘田、3番一塁バース、 4番三塁掛布、5番二塁岡田、6番左翼佐野(長崎)、 7番遊撃平田、8番捕手木戸(嶋田)、9番投手 となっており、DHを採用したからには、破壊力を さらに高めるような起用(佐野と長崎の同時出場)を するかと思いきや(もともと指名打者は打撃優勢の 選手を起用するケースが多い)、 中堅の弘田をそのまま指名打者にし、 9番に中堅として北村(吉竹)を持ってくるという、 シーズン中とそれほど変わらないシフトを当時の 吉田監督(現大阪ロマンス監督)は選びました。
あくまでペナントレースでの打線を重視した、と 言うことでしょう。あとは、セ・リーグでは慣れない 指名打者だけに、セ育ちの選手ではリズムを崩す かもと配慮し、パ出身の弘田を持ってきたと 言うところだったのでしょうか。
セ・リーグ初の指名打者がレギュラー中堅手と いうのはなかなか意外なものでした。
星野監督は新聞では広澤か濱中のDH起用を考えて いるようですが、やはり福岡ではしっかり打線の てこ入れをしようという考えなのでしょう。
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