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No-Mark Stall *




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発覚。 | 2004年12月05日(日)
「あら殿下」
入り口で立ち竦む彼に向かって、彼女はにっこりと微笑みかけた。
「……何してる、エメリア」
乾いた喉から零れた声は掠れている。
「何、って。見ての通りですけれど。何かおかしなことでも?」
「……」
赤く濡れた短刀を一振りして雫を払うと、彼女は傍に控えていた侍女にそれを預けた。
彼女がそのまま深く一礼してしずしずと退室していくのを見送って、エメリアは自分の衣服に付いた汚れに目を留め、驚いたように手を口に当てた。
「あら、いけませんわ。汚れてしまいました。困ったことですわね」
「それは、血か……?」
せめてワインか何かであってくれ、という彼の最後の希望は妻のあっさりとした頷きに粉々にされた。
「ええ。いけすかない女狐のものですけれど。早く落とさないと染みになってしまいますわね。それとももう手遅れかしら」
「……女狐というのは、そこに倒れている彼女のことか」
品の良い枯色の絨毯があっという間に暗赤色に染まっていく。
同心円状に広がる血の源は、彼にも見覚えのある赤毛の美女だった。
「そうですけれど。何か?」
「何故?」
エメリアはその碧眼に妖しく無邪気な光を浮かべて優しく微笑む。
「何故、と問われましても。その理由ならアンドレアスさま、あなたには心当たりがございますでしょう?」
知らないとでも思っていました? と問いかける調子の声は慈愛に満ちた海のように深い。
冷や汗が背筋を伝う感触を覚えて、彼は反射的に手をノブから離して後退った。
「――……ないと言ったら」
「ご冗談も大概になさいまし。証拠はすべて揃えておりますし、この女も白状致しましたわよ」
「だからと言って何故こんな真似をした?」
本当はこんな口論などしている場合ではない。
しかしこれを乗り越えなければ彼女の命も救えないし、下手をすれば自分の命すら危うい。
「命を奪うようなことまでする必要はないだろう!」
怒鳴りつけると、エメリアの顔が泣きそうに歪む。
普段の口論なら此処で彼女が泣き出して、自分がそれを怒りながらも動揺して謝罪を重ねる羽目になり、最後は双方が折れるかたちで決着が付くはずだった。
けれど彼女は泣かず、非難するような目が彼のそれを捉える。
「そんなつもりはありませんでしたわ。あなたとのこと、泣いて許しを乞われましたけれど、わたくしが許さなくてはならない道理などございませんもの。だから許さないと言ったらその女がわたくしに刃物を向けてきましたのよ。身を守るためですもの、仕方ありませんわ」
ねえ、と彼女は物陰で様子を伺う執事や侍女に問いかける。
彼らは一様に大きく頷いてエメリアを支持した。女を助けに駆け寄る様子はない。
「それでもわたくしをお怒りになりますか?」
ねえ、あなた、と甘い声が纏わりつくように広がる。

次の瞬間、ふうっと意識が闇に呑まれた。

*

「――ッ!」
ばねのように上半身を跳ね起こして、彼は荒い呼吸を繰り返した。
隣では、夢の中で血に塗れていた妻がすやすやと幼い寝顔を晒して眠りについている。
「……ゆめ、だったか」
あれは夢だ、と繰り返し自身に暗示をかけるように呟いて、ようやく動揺した精神と呼吸が落ち着いてきた。
アンドレアスは今度は深い溜息をついて寝台を滑り降りる。

この手の夢を見たときは十中八九、翌々日ぐらいまでに妻に浮気がばれる。
その前に、証拠の類をすべて処分し、早急に相手に別れを告げなくてはならない。
「まずいな、急がないと」
一種の予知夢に分類されそうなこの悪夢は、幾度となく彼とその度の浮気相手の命を救ってきた。
今日にも彼女に会わなければ、と思ったところで、ぎしりと寝台が軋んだ。
ぎくりと身体が硬直する。
「……何をお急ぎになるんです?」
ねえ、あなた? と夢と同じように優しい声がその背中に投げられる。

さぞかし美しく恐ろしい笑顔を浮かべているのだろうとおそるおそる振り返ると、予想に違わず麗しい微笑を浮かべる寝起きの妻のたおやかな手には、いつの間にか最大の証拠である彼直筆の文――しかも一昨日の晩に出したもの――が握られていた。
おそらくは手紙を届けに行く途中で従僕が捕まったのだろう、そういえば変な顔をしていた。
「……何のことだ」
自然とそろり、と視線が外れてしまうのは罪悪感のためだろうか。
「あくまで、おとぼけになりますのね?」
「だから、何の、ことだ」
彼女の目が据わる。
「――いいですわ、それならそれで、わたくしにも考えというものがございます」

こうなってしまったら、アンドレアスに出来るのはただひとつ。

――どうか誰も死にませんように。

天の神に祈ることだけだった。

******

夢オチ。
そもそも浮気すんなよ、という感じですが奥さん独占欲がとても強くてそれを隠さないので、旦那はときどき他の女性に安らぎを求めるようです。

ちなみにエメリアさんはクリスの先祖です。気性そっくり。
(まぁエメリアさんの方が幾分かおっとりお嬢様系ですが。クリスは割と短気で好戦的なのでこっちの方がじゃじゃ馬っぽい)
written by MitukiHome
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