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2003年01月22日(水) 私が今日書く早見優

こんばんわ。ゆみなです。
あ、タイトル。全然意味ないから。
単なる語呂合わせだから。

この前、るるに「あああ。酒飲みにいきてえなああ!」って誘ったら、
「おめえは毎日飲んでるだろうがあああ!」と一蹴されてしまった。
どうよ。これ。冷たくねえか。友達だろ。
少しは「付き合い」っつーもんも覚えた方がいいぞ。るる。

でもな、しかたないよな。
るるんちは、小さい子供とクソ小憎らしいばあさんいるしな。
その点ウチなんか子供はみんなでかいし、ばーさんはまだ病院だし。
あ、そのばーさんで思い出したけど、うちの痴呆のおばあちゃん、おととしの暮れに、
病院から「もういつ逝ってもおかしくない状況です」って言われたのに、まだいるぞ。
おかしくない。のに、おかしいぞ。
二年越しだぞ。
なんなんだ。これ。
いやね、別に逝くのを待ってるわけじゃないのよ。
「ないのよ」ってオカマか。

でもね、ほら、年齢も年齢だしね。97歳だしね。
医者にわざわざ得意げに言われなくたって、いつ逝ってもおかしくない年だしさ。
それがだよ。そう言われてしまってからはさ、私たち夫婦、身動き取れないのよ。
だから、オカマか。

取れないっちゅーわりには、あちこち行きまくってるんだけどな。

けどさ、あれって、けっこう残酷だよ。
私たちがお見舞いに行っても全然わかんないしさ、
食べ物っちゅーたら注射器に入れられたほぼ液体に近い流動食を口から無理やり入れられてね、
半分死んでるような状況下で、いつまでも心臓だけを動かしてるっつのもなぁぁ。
なんだかなぁぁ。
おばあちゃんが可哀相だよ。マジで。

まだ若いんならさ、これから回復する可能性もあるだろうけど97歳だもんなぁ。
もう修復不可能だしなぁぁ。
って、モアイ像かいっ!

大往生だしさ。今逝ったとしても。
ならさ、すーっと逝かせてあげたいよ。
もしおばあちゃんに意思ってもんがあるんなら、そう思ってると思うよ。
ただ、それを我々に伝達する手段がもう使えなくなっちゃったんだろうなぁ。

ああ。虚しいよな。

って、暗くなっちまったじゃねえか。
いや、暗くしちまったんだけどな。わしが。

なんでこんな話になったんだ?
あ、そだそだ。るるんちの小憎らばあさんからだ。
やっぱ曲者だ。ヤツは。
って、人んちのお姑さんのこと「ヤツ」呼ばわりすんなっつーの!
しかも「曲者」扱いだし。

ところで、私もあゆ推奨の2チャンネル家庭版に行って来た。
いや〜、はまるはまる。
ウチもね、実は次女が風邪ひいて昨日・一昨日と学校を休んだんだけどね、
次女が具合悪そうにしてるのを横目で見ながら、
縦目ではジックリと2チャンネルに見いっちまったよ。

しかし、ほんとみんな強烈なんだねえ。
意地悪な姑・舅も多いけど、強い嫁さんも多い。
「あなたが嫌いです!」とか「今度会うときは、お義母さんかお義父さんのお葬式のどちらかです。」
とか言えちゃうんだもんなぁ。
いや〜恐れ入ったよ。

私の場合はね、ダンナが義母のところに養子に入ってたから、義母とその妹、
そしてダンナの実の両親という血縁がない義理親が4人もいたんだけどね、
意外と上手くやってたかも。

ダンナは男ばっかり5人兄弟の末っ子で、私は尚且つ8歳年下。
ダンナの実家に行って、兄弟のお嫁さんたち全員集まっても私は一番年下だからね、
「なにもできませーん」「わかりませーん」「教えてくださーい」で、それでOKだったりする。
しかも最初っから、私は不良嫁だったしね。
初めてダンナの実家で泊まったときも寝坊するし、おじいちゃんやお兄さんたちと麻雀はするしさ。

でもなぜか、おじいちゃんにはけっこう可愛がられたんだよなぁ。
惚れてたのか。じいちゃん。老いらくの恋か。禁断の蜜の味か。

実は私、おじいちゃんと文通してたんだよね。
まぁ、ペンパルってやつか?
手紙を書くのも読むのも好きなおじいちゃんに私は毎週手紙書いてたんだよね。
別にこれといったことはなく、「今日こんなことあった」とか「東京は寒いだの暑いだの」
「子供がミルク飲まない」だの。
そんな内容ばっかりだった気がするけど。
それでもおじいちゃん、けっこう楽しみにしてたらしくて、
おじいちゃんが80歳になって、今日で車の運転はしないって日、やっぱ寂しかったんだろうねえ、
私に電話寄越してさ、
「ゆみなちゃん。わし、今日でもう車乗らないんだよ・・・」

なんかそのかすれた声聞いて、私は涙ボロボロ出ちゃってね、
おじいちゃんの車に乗って、あちこち連れていってもらった話を二人で延々と話してた気がするよ。

義母ちんの方はというとね、さすが5人もの男を真っ当に育てた自負があるのか、
けっこうきついこと言う人で、お義姉さんたちの間ではかなり煙たがられてるんだけどね。

私も毎年、母の日にお花を贈っていたら、ある年言われたね、
「花はね、裏の山に行けばいっぱいあるから、もう花はいらないよ。来年からは服にして」って。

なんだよっ!その言い草!贈ってやってるんだからありがたくもらえよ!
しかも裏の山の花と一緒にすんなよ!
って思ったけどさ、

ま、確かに服の方が実用的だし、昔の人だしなぁ。と思って翌年からは洋服を贈ったんだよね、
そしたら、今度は
「あの貰った洋服、サイズが合わなかったから人にあげた」なんて平気で言ってきやがってさ。
ムキーーッ!と思ったけど、
ま、小さかったんならしょうがないか。と思いなおし、しかも洋服は好みもあるしね。
で、今では迷いに迷ったあげく、
毎年、母の日と誕生日と敬老の日とクリスマスと、美味しい牛肉を送ってる。
それにしたら、お義兄さんたち夫婦も食べれるから、みんな喜ぶ喜ぶ。
最初っからこれだったな。と思ったね。

養子先の義母たちといえば、生涯処女の人たちだったから(多分)、
やっぱ子育てに関しては、かなりギャップもあって、あーだのこーだの言われたけど、
ま、実際に生んだことも育てたこともないんだから言うのもしょうがないか。と思うと、
意外と腹も立たなかったりするんだよね。

なんかあんまり腹立つ性格じゃないからさ、わし。
ってゆーか、
ま、こんなもんか。と思うと、はっきりいってどうでもいいんだよね。

そう。私ってなんでも行き着くとこ「どうでもいい」んだよね。

よほどのことじゃない限り、どうでもいくてさ、その一瞬腹が立っても、
ま、いろんな人いるしな。で終わっちゃうってゆーか。
終わらせるってゆーか。
嫌なヤツは、私のテリトリーから抹殺しちゃうってゆーか。

だから、るるがお正月から口きいてない、って話を聞いてもね、
そうだよ。無理して話すことないよ。って思うし、るるは一生懸命尽くしてたし、
充分すぎるほどやってたし、それを理解してくれないような義母ちんなら、
こっちからるるのテリトリーから抹殺しちまえ!って思うよ。

よくやったよ。るる。
これからは、あいつはもういないもんだと思え。


いるけど。下の部屋に。









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