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2002年04月27日(土) お題「携帯メール」

今頃、ゆみなとるるの2人は歓迎会で盛り上がっていることでしょう。るる、早く「ふん愛」のメンバーに馴染むといいね。
こんばんは、あゆです。

ゆみなが昨日さんざん愚痴っていたが、
結婚記念日にわざわざ「悲しいとき」というお題をふったるるに
日頃の壮絶な嫁姑戦争の鬱憤を
ここで晴らそうという意気込みを痛いほど感じ
私は戦慄を覚えた。

るるを敵にまわしてはならない・・・。
またひとつ教訓を得た。
りゃ!って奥深いね。


ところで「携帯メール」。
昨日、ゆみなに「電報」メールを打ったのは真実だ。
いい年をして打った。
しかし、ゆみなからの返信も同じようなものだった。


「アリガトウ。ゼンリョクハツクシタ。
アトハヤチョウノカイニタクスノミ。
トコロデタロトジロハゲンキニシテマスカ?
クボジュンヨリ」

時代考証がめちゃくちゃである。
それに誰がクボジュンだ。
どう考えても和田アキ子だろう。


私たちには時々こういった大切なメッセージのやりとりに必要だし、
携帯メール自体はホントに便利なのだが
何よりも我が家ではアンテナが立ってなく圏外なのが哀しい。
一日中ウチにいると友達からのお誘いのメールや
パチ屋からの重要情報を
やりすごしてしまう結果になってしまう。

ウチの中が圏外なんて不都合きわまりないのだが
その前に水洗トイレになることが先決だろう。
五右衛門風呂も早くガス風呂にしないと・・・。
防犯のためにも玄関だって木のつっかえ棒をやめて
鍵をとりつけないといけないしなあ・・・。

またまた貧乏臭い私生活が露呈したところで本題に入ることにする。


今や携帯を持っていない人の方が珍しいほど浸透しているが
街中のあちこちで熱心に携帯メールを読んだり、
送信していたりする人の姿も日常の光景だ。
若い子ならまだ納得できるのだが
おじさん、誰に送ってるのかな。
入力が極端に遅いぞ。

これは私の友人の体験談だが(無断掲載御免)
仕事関係でつきあいのあるおじさんからのメールが
摩訶不思議なのだという。


【例】

「この間感じのいい店を見つけました?今度の土曜日は。
時間の都合はどうですか下見に行きましょう、だめかな!」

友人はマスコミ関係の仕事をしていて
お店の情報収集も貴重な仕事なのだが
このメールには困惑したそうだ。

本当に「感じのいい店を見つけた」のかどうか、
それとも「見つけたのですか?」
と尋ねられているのかどうか疑問が残る。
「今度の土曜日は」で一旦区切られているのに
「どうですか下見に行きましょう」と二つの文章が続く理不尽。
そして「行きましょう」のあとの謎の「、」。
さらに自分から誘っておいて
「だめかな!」と断言する大胆さ。

彼女は即効「だめです。」と返事をした。

その話を聞いて以来、彼女と私のメールはしばらくの間、
句読点や「?」「!」をでたらめに使う
というのが不文律となった。

【例】

「明日のライブの件だけど!6時に待ち合わせでよかったかな、
都合悪かったら。電話ください?」

「6時半くらいになりそうなんだけど?
それでもいいかな!では。明日、」

こんな具合だ。

しかし、こういう不自然な流れの文章は、
考え考え打たないとなかなか作れないし、
結構疲れるものである。

携帯メールに慣れていなかったせいだと思っていた知人のメールは、
その後も謎に包まれた文章で送られ続けていると言う。
自然にああいう文章が書けるのは、
おそらく「天才肌」なんだろうと踏んでいる。
私とは何の面識もないそのおじさんがある意味妬ましい。



その点、ダンナのメールは受信は私からのみ、
送信も私へのものばかりなのだが

「まんがきっさでまつ」
「さきにかえる」
「いまうめだでる。もうすこしまつてくれ」

“るるちゃんへのおてがみ”並のひらがなばかりだ。
変換が面倒なのだそうだ。

所詮おやじに携帯メールを使いこなせというのが
無理な話なのだろうか。



それでは次回のお題の発表です。






「ストレス解消法」

いえ、別にるるが特別ストレスがたまってる生活をしてるってわけじゃなくて、やっぱりその、現代社会においてストレスというものは、たまるのが当たり前というか、ストレスのない人はないなわけで、その辺ワールドワイドというかグローバルな話題っていうんですか・・ふぉふぉふぉふぉふぉっ。

加藤淳でした。




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