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| 2002年03月12日(火) ■ |
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| 古今恋愛事情 |
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◆古今恋愛事情 昨日、ジェーン・オーステインの『ノーサンガー・アベイ』を読んだ。オースティンは『自負と偏見』、『分別と多感』に続いて3冊目だが、どれも面白い。しかし、個人的にはこの『ノーサンガー・アベイ』が一番面白かった。本についての感想は「只今、読書中!」に書いてあるので、ここでは違うことを書きたい。
オースティンは純文学ではあるが、どう見てもロマンスものだろうと思う。それは単純に、ロマンスについて書いてあるからということであるが、この昔風のロマンスがどうして面白いのだろう?きわどい描写があるわけでもなし、内容は年頃のお嬢さんが素敵な男性とめぐり合い、あれやこれやの末にめでたく結ばれるというお決まりの話にしかすぎない。 実は同時に現代のロマンス小説、ノーラ・ロバーツの『Tonight And Always』というのを読んでいるのだが、あんまり面白くないので、「只今、読書中!」にも書いていない。同じロマンスの話で、どうしてこうも違うのか?
それはオースティンの文章の上手さ、細かい人物描写、暗に皮肉を含めたユーモアなどというのもあるが、恋愛そのものの描き方の違いだ。 オースティンの場合は最後になるまでどうなるかわからないのだが、じっくり相手を見定めて、結ばれることと相成れば、けして相手を疑ったりはしないのである。そしてその間、愛の言葉などはほとんどない。軽率に愛しているなどと言いあう間柄の男女は、必ず破局するのだ。 しかし、ノーラ・ロバーツのほうはといえば、簡単に恋人同士になり、しょっちゅう「愛してる」などと囁かれるが、それからが大変だ。いつ別れが来るだろう?自分は傷つけられるのではないか?だったら今別れてしまったほうがいいのではないか?などと、あること、ないことで悩むことおびただしい。たぶんそれが私の性格に反するのだろう。恋愛に悩みはつきものだが、少なくともなぜ自分の気持ちに正直でいられないのか?別れることを考えずに、続ける努力をしないのか?と思ってしまうのだ。勝手に別れがくるのでは?と思って、相手にやつあたりするなど、バカじゃないの?なーんて思ってしまうからなのだ。こちらもお決まりのコースで、最後には絶対に結ばれるのだが、相手が自分を傷つけるのではないか?と思うくらいなら、そんな人と簡単に恋人同士にならなければいい。これでは「愛してる」という言葉なんて何の意味もないではないか。 オースティンの小説は主人公にプライドと分別があり、いざとなれば一途に相手を信じるという状況が好ましいと思えて、非常に気持ちがいいのだが、ロバーツのほうは主人公が軽率で、相手を落とすまでは異常にプライドがあるが、落ちてからは相手に翻弄されるというのが腹立たしく思えるというところだろう。
これは作家の違いとばかりも言えない。昔と今の恋愛のあり方、女性の恋愛感がそもそも違っていることもある。しかし、現代にあって、現代の恋愛をしているはずのものが、昔のロマンスのほうがずっと魅力的だと思えるのはなぜだろう?それは、昔のヒロインは自分というものをしっかり持っており、自分を磨くことにも熱心で、そう簡単には安売りしないという部分が、魅力的で面白いのだと思う。
◆ルーティーン・ワーク ご飯を炊こうと思い、お米をいつものように4合入れた。。。つもり。 お米を洗う段階で、あれ?4合だっけ?5合だっけ?と迷った。無意識にしたので、計量カップでいくつ入れたのか全くわからなくなってしまった。主婦歴を考えれば、それくらい見て見当がつきそうなものだが、毎日無意識にしているため、いざ、あれ?と思うと、全然自信がないのだ。今日は歯医者に行ったけれど、麻酔をかけたわけでもなく、いたって意識は正常だったのだが、どういうわけか一瞬どこかに飛んでいたようだ。
仕方がないので、たぶん5合いれてしまっただろうと思い、水もその分入れた。しかし毎日の無意識の習慣のほうが正しかった。できあがったご飯はおかゆ状態。このところ胃の調子がよくないし、まあいいじゃないかと自分で自分を取り繕ったが、せっかく実家から送られてきた高菜が、おかゆじゃおいしくないって。 無意識のルーティーン・ワークは、うっかりするとポカをするが、案外ちゃんと体が覚えているものなのね。
─ BOOK INFO ─
◆Nora Roberts『Tonight and Always』読了
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