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2002年10月28日(月) 統一補欠選挙

今度の補選の総括として、結局、組織票がものをいう選挙だった、政治不信が深刻になっている、
といった論調が目立つ。

確かに、低投票率の原因は政治不信で、結果として組織票が際立ったのは確かだ。

ただ、この結果を指して、「政治不信」のひと言で済ませても良いものだろうか。
なぜ多くの国民が、政治に無力感をもっているのか。
このことの意味をもっと考えてみても良いのではないかと思う。

わたしの私見だが、つまるところ、多くの国民の意志をまとめ上げる受け皿が無いということだ。

期待に応えられそうな政党が無いとなれば、政治から距離を置くようになるのは当然だ。
それは、諦めにも似たものだろう。

そうなれば、終わりなき現状の維持・再生産がなされることになる。

だからといって、曰く、政治が悪くなっているのは投票に行かないひとびとのせいであり、
ますます民意とかけ離れた政治になってしまう。投票に行かない彼らこそがが日本をだめにしている元凶だ。
と断じるのは早計だ。

低投票率の結果、組織票に支えられた与党が勝利を収めたが、
その組織票だって、民意の表れには違いない。
組織以外のひとの意志こそが真の民意であるかのごとくの論調は傲慢だろう。

近代政治は、民意を組織することで支えられるのが前提だ。

既存の組織以外の形で、民意を組織できなかったところに
いまの日本の不幸がある。

本来なら、野党第一党・民主党こそが、既存組織外の民意を糾合するべき立場にあったにもかかわらず、その民意を、無党派という言葉を使い、無定義概念に貶めたことに問題がある。
つまり、単なる“アンチ”としてしまったのだ。

欧州各国では、自由主義に対抗する形で、野党第一党が、
社会民主主義あるいは第三の道という形で、
積極的な理念を提示し、民意をまとめ上げた。
トニーブレア率いる英労働党が、顕著な例だろう。

いまとなっては詮無いが、もともと同床異夢の政党にそこまでの期待は出来なかったのだろう。
民主党というところは、その出生からして異なる理念をもったひとびとの寄り合い所帯なのだから、
明確な統一された理念の提示などは不可能だったのかもしれない。

はっきりと言うが、無党派の反乱と称して、自然集合的に、一定の志向性が出来上がるとするのは幻想だ。
政党の存在を前提とする議会制民主政において、政党が理念の提示を怠るのは、政党自身の自殺行為に等しい。ましてや、最初から、無党派層なる不確かなものに基礎を置こうとしていること自体が正気の沙汰とは思えない。

政党は、確かな基礎があるからこそ、政党たり得るのだ。
その基礎作りを怠ったツケがいまに回ってきているのだろう。

依代(よりしろ)となる理念が無ければ、無党派はいつまでたっても無党派だ。
無定義概念である以上、既存政党に対するアンチとしてしか、その存在を客観的に語ることは出来ない。

無党派の可能性を引き出せない民主党の罪は深い。

議会制民主政を採る我が国において、政治が政治として機能するには、政党間の理念対立が必要だ。

政治は終焉を迎えたわけでもないし、
政治の可能性はいまだ無限に広がっていると、わたしは信じてやまない。
そのためにも、民主党の再生を切に願う。


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