
対人関係絡みでちょっとしたトラブルがありました候。で、思うところあり、
書籍『運をつかむ人 16の習慣』マーク・マイヤーズ著を再読、っうか、再び流し読み。で、今回の相手(→仮にBさんとしておきまする。)とは深入りしないコトに決めました候。もちろん私にも悪い部分は多々あると自覚してはいるし、Bさんの性格は個人的にはすごく好きなのであるが・・・。
要するに、Bさんと私、という組み合わせがよくないのかなぁ、と思うのであるよ。たとえば、Bさんと私が何か約束したとする。と、必ず何らかの誤解が生じてしまうのでありまする・・・。Bさんはどう思っているのかは分からないけれど、私が思うに、お互いのコンテクストが違い過ぎるのかなぁと。
どこがどう違うかをすべてココで書くことは無理だし、自分でも全部認識できているとは思っておりませぬ。(→そこまで傲慢人間ではないのであーるよ。)けど、Bさんのコトを考えながら冒頭であげた書籍を読んでいたら、一番大きな違いに気づいたのであります、ハイ。

簡単に言えば、Bさんは人を信じない人なんだと思う。信じたい気持ちはあるのだろうけれど、ちょっとしたコトで相手を見切ろうとする、というか何というか。その反面、一度信じた相手にはかなり忠誠で、相手が不当な要求をしてきてもNoと言えない、みたいな。そして最後にその相手に裏切られると、自分ではなく相手を必ず責める傾向があるなぁと感じました候。
今までBさんと交友してきて感じたコトをまとめると、一言で言えば、乱暴な表現ではあるけれど“運の悪い人”。上にあげた書籍の中で、具体的に「Bさん、コレかもしれんなぁ。」と思えた箇所は、“人を非難することで自分を正当化する”“知ったかぶりをする”“見返りを期待し過ぎる”、っうところ。逆に、運を良くしたい人は、この逆をやればいいのでありまする。
私としてはこのまま細長く交友していきたいとは思う。けど、向こうは何やら違う感じがするし、お互いにもっと理解しあえるタイプの人間は他にもたくさんいるでありましょう。あぁ、人間関係って永遠の課題であーるよ。
■□■□■□■□■□■□そのほかのほざき。■□■□■□■□■□■□■□■□
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女性の顔と身上相談(憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々さんのエントリー)を読む。あぁ、女性の私が言うのもヘンかもしれないけど、、、その通りであーるよ。(→あ、傷ついた人いたらごめんなさい。。)『私の幸福論』福田恒存著、読みたくなった。
・時間をおいて今日の日記を再読してみたら、自分の対人スタイルの特徴に気づいた。要するに、私は信じるか信じないか、というような極端な基準で人を判断してない、ってコトだと思う。いつも思うけど「・・・かどうか?」っていう“どっちか”思考って危険なんだよね、たぶん。