日記。私の日々。
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2003年10月18日(土)葬式は生きる我らのためにやる

君を片付け生きてゆくため。
(枡野さんうろ覚えで勝手に引用すいません)

今日はバイトも休みで、もじゃのお葬式に行ってきました。
お葬式に行くのは高2の時に幼馴染が死んで以来。
そのときに、死ぬのってこういうことなんだ。怖い。と思って、
親戚の人が亡くなっても私はお葬式に行くことができなかった。
相方もきてくれた。
カセットテープの間抜けなお経で。
焼香なんてしなくていいと思ったし、
そんな普通のお葬式なんてしたってなんの意味もないと思った。

霊園に行く前に家でもじゃの写真を探したりして昔のが出てきて、
「若かったねー」って言ったり、
もじゃの好きだったお菓子とか、バナナとか、
お花とか、手紙とかを、箱の中にいるもじゃのところに入れてあげることのほうが
よっぽど大事なことのように思った。

「それでは、最後のお別れをしてあげてください」
もじゃの形がなくなってしまう、という意味の言葉だった。
白地に茶色のまだら模様の毛も、
垂れた耳も、黒い目も、燃やされてなくなってしまう、という意味だった。
もう、この耳にも触れなくなってしまう。

骨あげまでの時間をポコペンでつぶすことにした。
(霊園は谷町9丁目でポコペンは谷町6丁目)
何気ない会話を。
ポイントカード書いてもらうの忘れたー。

霊園に戻って、骨あげ。
手紙もバナナも草もお菓子もあとかたもなかった。
もちろん垂れた耳もどこにもなかった。
もじゃの骨すら灰と区別がつかないくらいだった。
骨折した足をとめるためのワイヤーが残っていて辛かった。
骨は小さくて細くて脆くて骨壷に入れるのにも崩れてしまうくらいだった。
小さいキーホルダーになっているものに爪と、大好きだった前歯を入れた。
(このキーホルダー3000円。ぼったくり・・・・・。)
頭の骨も小さくなっていた。
もう本当に寿命だったんだな。
1000度の中で焼かれてしまったもじゃ。
涙もでなかった。
小さな骨壷にも余裕があるくらいに小さくなってしまったもじゃ。
空は晴れ晴れて快晴。
うまくのぼっていけたのだろうか。

自転車で相方とアメ村へ戻る途中吉野家へ入って牛丼食べてたんだけど、
ジュディマリが流れたりしてて、
なんか「もじゃ、熱かっただろうなぁ」とか思ったりしたら
涙がぼろぼろでてきた。
ようやく泣けた。

珍珠をテイクアウト。
ミナミホイールに行く人がたくさん。
松崎ナオもでるのかい。知らんかったわい。
アナログフィッシュも見たい。

人がたくさん。
タバコを吸いすぎている。
自転車で一人で帰ることができるかどうかわからなかった。
食べた牛丼はタワレコのトイレで吐いてしまった。

相方が結局家まで送ってくれた。
家に帰りたくなかった。
どこにもいたくなかった。
明日もお互いバイトやし、帰らないわけにはいかず、帰ってご飯を食べる。
家族もみんなふ抜けていて、普段なら絶対見てるはずもない
日本シリーズを見たりしていて。
ご飯食べたけど吐いてしまった。
左腕に悪いものがたまっている気がして腕に傷を作ってしまった。
もじゃはそんな事望んでなんかいないはずだとわかってはいる。
骨壷は今までもじゃが住んでいたゲージの中に入れられている。
手元には前歯と爪の入ったキーホルダーがある。
もじゃはいた。幸せな日々をすごした。それだけが全てじゃないか。
言い聞かせている。

明日からバイトだ。
今はいてるズボンそろそろ洗濯だ。
あさって病院に予約いれてもらおうかな。
お金ないのにまたヤフオクでポーターのかばんに入札してるよ。

こうやってきっと簡単に日常に戻るんだ。
今日が晴れていてよかった。
もじゃはまっすぐ進めただろう。

それはとても晴れた日で未来なんていらないと思ってた。
私は無力で言葉も選べずに帰り道の匂いだけ優しかった。
Coccoのうたが頭を流れる。


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