銀の鎧細工通信
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2005年09月28日(水) 荊の腕輪 (オリジナル。Yちゃんへ捧ぐ)


「あれ?伊藤は?」

日当たりのいいテラスでカップを手にして呆けた声を出した。
「さあ、またフラッとどっか行っちゃった」
パスタランチの玉葱をちまちまちまちま除けている佳苗は顔を上げずに答えた。
このオンナいつもこう。すっごい偏食で食べ方も汚い。本当に苛々する。
深い赤のメガネフレームが白い陶器のような頬と、薄茶色にオレンジを入れた髪に映えた。
(見てくれは悪くないんだけどね)
「あっそ」
わざと雑な声を出して踵を返した。

「あんたたち、ちょっと変だよ」

佳苗は相変わらずパスタをいじくりながら口走る。
振返った私の顔が思い切り顰められているのなんて、頓着しない。
あんたごと、その皿ゴミ箱に突っ込んでやろうか。バカオンナ。
口の中で早口に罵って、結局無言で伊藤を探す。
手にしたふたつのカップが熱くて、掌を痛ませる。


「あ、紺野ー」
間延びした声が呼び止める。
喫煙所で煙草を指に挟めたまま手を振ってきた、小柄な伊藤はしゃがみ込んでいると喫煙所に隠れてしまう。声をかけてくれなかったら、きっと気が付かなかった。
「何してんの、わざわざ喫煙席にしたのに」
つかつかと歩み寄った、
「ほらほら見て、可視光線」
伊藤のかざした煙草から伸びた煙が、光の筋を浮かび上がらせた。
「小学生ん時さあ、理科でやらなかった?線香使って」
「・・・やったね」
灰皿の縁にカップを置いて、椅子に腰掛ける。向かいの窓に写った自分を見た、
(褪色してきたな、美容院行かないと・・・)
青いベリーショートの髪を眺める。ハーブティーを口に運ぶと、捻った手首から皮膚が引き連れる痛みが走った。
リストバンドで蒸れるせいか、傷の治りが悪い。
「コーヒー冷めるよ」
まだしゃがんだまま煙草をひらひらさせて遊んでいるので、声をかけた。
「ああ、ありがと」
立ち上がり、近くに伸ばされた手には二の腕から肘下まで、不自然な傷が線状にたくさん走っている。


『死ぬ気も無いのに手首ばっかり切るのってバカバカしくない?』
自傷の傷を隠さない伊藤は、無神経に云ったのだった。
利き手の逆手首にいつもリストバンドやごつい時計、ブレスレットを欠かさない私に、”同族”が気が付くのも不自然ではなかったが、露骨な云い草に酷く不快になった。
『じゃあ何?あんたはそうやって見せびらかして、同情でもひきたい訳?それとも自分は特別なんですーってアピール?』
『違うよ、隠したり嘘吐くのが面倒になっただけ』
小さな耳に開けられた沢山のピアス、やたらごてごてとごついアクセばかり付けている姿は、それだけで無駄な威圧感を他人に与えるのに、ましてやリスカだなんて、なんて無神経な奴だろうと思った。
訊かれもしないのに『100針は合計で縫ってるね、小学生の頃からだから』だとか云う。
こういう奴がいるから、構って欲しいから心配して欲しいから自分を傷付けるなんて幼稚な真似をするんだ、だとか胸の悪い言説が飛び交うんだ。
(でも、隠して、自分だけの特別な意味合いを過剰に込めるような真似してる、私も相当に自意識過剰だけどね・・・)
どっちもどっちだと、結局は思ったが、それで死なないで済むんなら、幾らでも何でもすればいい。
中途半端な心配で、最後まで付き合う気も、覚悟も無いくせに「話を聞く位なら出来るから」だの「何で自分を傷つけるの?もうそんなことしちゃダメだよ」だなんて抜かす奴だってムカつくんだから。
私はねえ、私もあんたも、皆この世界も全部丸ごと大嫌いなんだよ。
(なんて云ったら、じゃあ死ねば?で終わるんだけど)

「・・・かない?」
コーヒーをすすりながら、筋肉質の腕をなでている。
「ごめん、何?」
「傷がうずかない?雨でも降るかなあ」
ピアスホールから捻挫まで、傷は気圧の変動で疼く、鈍くちりちりと痛む。
「あー・・・ちょっと私わかんない」
黒いリストバンドをさすりながら応えた。
「そっか、縫ったばっかだもんな。まだ傷自体が痛いでしょ」
「・・・まあね」
周囲に他人がいてもお構いなしに、普通にこういうことを喋る伊藤は、やっぱり居直りという態度で、理解の出来ない他人に有無を云わさない強権を感じさせたし、それによって何処か自らの傷みをアピールしているような印象を受ける。
「何してんのかねえ、私ら」
ぼそりと呟いた。
「珍しいね、いつも”もうしない、なんて云ったり思ったりすると負担になって辛いだけだから、私は切りたきゃ切るんだ”とか豪語してんのに」
けろりとして云うが、そんな伊藤だって、いくつかの薬の服用で生活を立て直している、持ち堪えている人間だ。
「それはそうだよ、だって私は、こうやって生きてきたんだから。誇り持たないと、相当惨めだもん」
ハーブティーはすっかり冷めてしまった。
猫舌の伊藤は冷めたコーヒーを美味しそうに飲んでいる。
「まあねえ、何でこんなことしなきゃ生きていかれないんだろうとは思うよ。生きてりゃそれでいいんだとも思わないし、どうしても死にたけりゃ死ぬしかないし、それは他人には止められないし」
「でしょ」
あああまただ、いつものくだらない厭世感に襲われる。罪業妄想、自虐の嵐、自己嫌悪すればするほどそれはナルシシズムに似ていて、もっと自分に反吐が出る。
「ねえ紺野」
視界がブラックアウトしそうな不快感に偏頭痛が起きはじめた、と思った瞬間声をかけられる。
「中学生の時さ、すっげえしんどい友達が居たんだわ。とにかく家庭環境が複雑な子で、何も出来ないし、その子がどんどん狂気じみてくるのがキツくってねー。結局、途中で投げ出しちゃった。居留守とか使ってさ。今どうしてるのかわかんない」
「はあ」
しんどい友達なら、類は友を呼ぶというのか厭世徒の気持ち悪い馴れ合いなのか、私にだって幾らでもいる。
「でさ、それがね、残ってんの」
ヘビースモーカーの伊藤に煙草を勧められて、それを貰う。自分の煙草は席に置いてきてしまった。
どこから拾ってきたんだか、スナックの名前がプリントされたライターを借りる。
「自分が切ってる時とか、何を云われて嬉しかったかなんて判らない。多分何を云われても、何をしてもらっても、抑えられない衝動を吐き出すにはこれしかないと思うし、そういう時には止められないし」
「うん?」
昔の事と本人の事が混ざった話の要旨は解り難い。
「・・・ずっと、左手首が痛いような気がすんの」
私の手首を指しながら、云いにくそうに呟いた。
「こういうこと云うと、他人に心配かけたりしたくない紺野にはさ、余計なストレスだっての解ってるんだけど、痛い気がずっとするんだわ」
そうだよ。心配かけるようなこと自分でしてるくせに、自分には心配される資格なんかないって思ってるし、だって自分は他人を幸せになんて出来ないダメな人間だし。
ひり付く感情が、伊藤の小さな目が更に細められて云い難そうにしている所為なのか、自分の聞きたくないような事を云われている所為なのか解らない。
驚くほどに、うんざりするほどに、何もかもが解らないんだ。
ただ解るのは、うんざりするほど、全てを自分ごと呪う位に疲れ果てているってことだけ。
「今度は多分大丈夫。もう目を逸らしたりしない。心配って云うか、結構冷静に眺めてる」
薄情だと思った?と云って苦笑した。
「・・・別に、他人にそこまで期待してないし」
嘘だった、誰か一緒に朽ち果ててくれるまで想ってくれればいいと思ってる。安心したいって思ってる。本当は最期まで一緒に居てくれる人が欲しいって。ホントばか。自分ひとりで自分を満足させてやれないなんて。
空になったカップに灰を落としそうになって、シルバーに塗った爪が惑った。
「何があっても、見てるから」
またしゃがみ込んで、ベージュからブラウンのグラデーションになったスカーフに顎を埋めた。
「例えばさ、もし死んじゃっても、葬式であの曲がかかるように手配とか、するし。他にも何でもしてあげる、出来る事なら」
ほとんどの指に嵌められたシルバーのリングががち、と鳴った。
「何それ、死ぬの前提?死なないよ、別に」

「例えば、って云ったじゃん。何をしてもどうなっても、受け入れるよ、認めるよ、って話」
縁が切れたとしてもさ、何処かで生きていて欲しいと思ってるよ。色んな事を諦めないで欲しいって、小声で続けた。
「あんたが置いていかれるの嫌なだけなんじゃん、聴こえのイイ放棄だよね、偽善者」
思わず鋭い声がでてしまった。みっともない。
「まあね。でも出来る事って本当にそんな無いしさ」
ふー、と煙を吐き散らす。
「佳苗待たせてるから、行くわ」
伊藤の分のカップをまた手にして立ち上がる。
「あ、ごめん、ありがと」

じゃね、と手を振った後で、背後から声を投げられる。
「だからさ、私に訃報が届くように佳苗さんとか、友達でもイイや、云っておいてよ」
「うるさいんだよ、死なないって云ってるじゃん」
地声が大きいので、周囲が興味を押し隠して、私と伊藤をちらちらと見る。不愉快。
「信じてる、紺野の生命力。でも何やっても、怒らないし怨まないよ」
心配かけることを負担に思わないで。それが余計に紺野を辛くしそうだから、周りなんか気にしないで。もっと利用していーよ、佳苗さんは恋人でしんどいだろうから、私とかさ。
幾分声を落として云った。
「気持ち悪いんだよ、気障オンナ」
吐き捨てるように応えると乾いた笑い声が響いた。


荊の腕輪が傷つけるのを止めない。
いつもずっと、彼岸花の様に血を弾け飛び散らせ、真っ赤。
どいつもこいつも偽善者だ。私だってそう。
逃げようとすればするほど、棘がくい込む。どれだけ血を流せばいいんだよ。
「ごめんね、佳苗」
優しく優しく声をかける。
「別に」
と愛しの彼女は素っ気無く応える。
手にしてた本を閉じて顔を上げた。
思わず苦笑する。


『そこのてめえら黙りやがれ。
あたしゃ生きたいように生きていく。
あたいの何が欲しいのさ?
肝臓かよ、血かよ、はらわたかよ?
狂気しかのこってねえっつんだよ。』


「キャシー・アッカーですか」
「そう、『血みどろ臓物ハイスクール』、もうハイスクールって歳じゃないけど」
「佳苗はまだ学生じゃん」
「大学生だよ」
「そしたらカレッジスチューデント、だよね」
「うっさいなーこういう時だけ年上ぶって、ウッザ」


どこで道を間違えたのかなんて、もうわからない。
行けるとこまで行くだけ。



血の跡が何処までも続けばいい。いっそ。









END

紺野も伊藤も私です。
他人のためにオリジナルの小説を書くのは、初めてです。
Yちゃんへ。届かなくてもいいから、せめて。

BGM:天野月子『花冠』















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