夜考える事と、 日にあたって感じることは、 違うのだと、 知った。
自殺は、自分に対して、禁忌と定めたものだった。 それは、小学5年生まで暮らしていた高層マンションで、 よく飛び降り自殺があったからだ。
むろん、実際の生々しい現場を眼にする前に、きれいに処理されてしまっている。 でも、そこに人が飛び降りて死んだのかと思うと、 見えないからこそ、ぞっとした。 「自殺するなんて馬鹿だね」 そう友人に言った自分に、彼女は、 「そんなことをいうな」 というような意味のことを言った覚えがある。 でも、そのときは、本当に、自殺は愚かだと思った。 もう、10年以上も昔の話―――
それから、自殺をすること、特に、「先逝く不幸」は、自分の中で禁忌となった。 今から思えば、それぞれに理由はあったのだろう。 それでも、やはり愚かな選択だと思っていた。
自殺は、罪だ。 残された者の、嘆きは一層酷いだろう。 自殺した後を処理するのも、誰かがしなければならない。
死は恐ろしい。 人が、とたんにモノと化す。 動いていたものが、動きをとめる。 もう動かないことを示す、その蝋のように青白い肌。
お前に何が判る、と言われるだろう。 それでも、やはり自分は上のように思う。 死体が、焼かれて骨と化す。
死は、いや、死体は、おそろしい。 生あるものが時を止め、モノと化す。 人は1人、と数える。 しかし、鼓動をとめると、「1柱(はしら)」となるのだ。 それはすでに、人ではないことを示している。
小さい頃から、なぜか自分はエジプトの神話と、ミイラ作りに興味を示していた。日本にも、近い物がある。「〜仏」、名前は少し忘れたが、僧が最終的に何も口にせず、座禅を組んだ形のまま、天然のミイラと化したものだ。 なぜそんなものに興味を覚えたのかは、わからない。 ミイラも、その日本のものも、死体に変わりがない。なのに、恐怖はない。 その差異はなんなのか。
ここ1年ほど、療養という名のもと、自分は休職している。 給付金を受け取りながら、貯金を崩しつつ、実家で過ごす毎日。 最初は、手が震え、足元もおぼつかなくなった。 それは、服薬をおこたったことによる、禁断症状であったのだけど。 仕事道具を取り落としそうになった時に、 「もう、危ない」 と、判断して、上司と話をした。 自分は上司に恵まれていたのだろう。そして、その上の上司にも。 状態は、上昇したと思えば下降し、と思えば少し上昇したり、をくりかえし、今は少なくとも午前中は眠り、夜は薬無しでは眠れない生活である。 もう、あと1ヶ月で1年になる。 母と飼い犬との二人と一匹の暮らし、全く動けなくなっても、母の暮らしは自分の手を必要としなくても、なりたつようになった。父が帰ってこれば、なおさら、必要なくなった。 1人暮らしをしたい、ああ言ったとき、父に止められた、あれはなんだったのだろう。結局、自分は父の代わりでしかないのか。 むなしくなった。つかれた。 洗い場でふと、手首を切れば出血で死ねるかな、と思った。 血は、温かい湯より、水のほうが固まりにくい。 布団の暗がりのなか、手首の動脈を指で探り、ここを切って水につけてしまえば、死ねるかと思った。 役目を失った人形は、もういらない。 1日中寝て過ごす自分は、コストがかかる分、わけが悪い。 もう、この状況につかれた。
その夜中に大学在籍時代の知人からメールが来なければ、そのまま決行していただろう。 色々と書き綴り、そして言葉を返してもらったことで、少し気分が晴れた。
そして、朝になって日の光を見た時、気分は全く変わっていた。 もう、死ぬ気は失せていた。
可笑しなものだ。 あれほど、思いつめていたものが、微塵も残っていない。 そして、知人は一つ、目的をくれた。 その目的が、自分を、生かす糧となった。 本当におかしなもので、朝こそ寝ていたものの、その前に少し電話で久しぶりに話してもう大丈夫だと伝えて、起きたら、身体は軽かった。 あれほど難儀していた歩行も、たどたどしくても苦痛ではなくなった。 目標一つが、目的一つが、これほど体調を左右するとは。 笑えるほどに、おかしかった。おかしくて、嬉しかった。
言葉は少なくて、優しすぎて優柔不断の気がないでもないけれど、色々な面を見せても受け入れてまじめに考えて答えを出してくれた知人に、多大な感謝を。 自分は、もう少し、歩いていけそうです。
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