人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2007年06月28日(木) きっとそれは、一生の宝物

私にとってうれしかった対応が、万人に受けるかといったらそういうものでもなくて。

どの言葉をかければその人が喜ぶか傷つけないか、そんなもの、はっきり言って、よく分からない。分かるわけがない。相手が、かけた言葉に反応を示してくれることで、まずったのかよかったのか、どうにか分かるくらいのものだ。それに、かけられる方に立ったって、欲しかった言葉以外に受けた言葉にほっとしたり開眼させられたりすること、よくある。

出張先で、「子どもは元気?」と問われれば、「元気です」と答える。だけど、「二語分出てきた?」とか「要求いっぱいで大変でしょう?」と詳細な状況を問われたら、私はどう答えたらいいんだ? 「そうですね」ってかわすだけの明るさはまだ持ち得ない状況で、言葉に詰まる。二語分どころか、きちんと操れている言葉なんて、相変わらず「あんまん(アンパンマン)」「だっこ」「ぱいぱい」「なんな(猫)」「わんわ(犬)」…最近ようやく「まめ(黒豆等甘く煮た豆)」。やっと片手指よりも増えたくらいのもの。オウム返しだってほとんどできない。

発達障害の可能性が高くて、と正直に保健師相手に告げる。同僚という気安さがあるのか、ケースには絶対に言わないだろうと思われることばを、上の人ほど吐く。心に、ぽとんぽとんと、ひとつひとつの言葉が落ちて、後から、どっと悲しくなったりする。

研修で久々に会った、他部署にいる50台半ばの保健師の、その対応が私にとってとてもあたたかく、やさしく包んでくれた、という現実。「それは辛いね」とプライベートの酒の席で泣いてくれた、40代のやさしい先輩の存在。

嫌な言葉をたくさんもらった中で、その2つのなぐさめが、今の私を支えてくれている。

仕事柄、私も誰かの支えになっているのだろうか? 言葉と沈黙と涙で。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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