人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年07月22日(木) 相手の帰りを待ち続けるしあわせ

何を待っているのか。

痴呆症状が少しずつ進み、現と過去とを行き来し始めたひとり暮らしの女性がいた。話を聞いてみたら、夫が帰ってくるのを楽しみに待っていると。夫は夜勤の仕事をしており、一昨日仕事に出て、まだ帰ってこないと、そう言った。彼女の夫は、10年以上前に亡くなっているはずなのに。"夫だった人"の他にいい人でもできたのか、それは分からないので待っている夫の名を聞いてみたら、亡くなったその人の名が返ってきた。

80歳を過ぎ、亡くなった夫を待つということが、「お迎えを待つ」なのか、本当に「帰りを待っている」なのか、区別つかない。突っ込んで聞いてはいけないことはあると思う。痴呆のある女性の精神科医の受診で、医師が「旦那さん、亡くなっているってことはありませんか?」と聞いているのを見ていたことがあるが、悲しい現実を突きつけるのは、私にはどうにも抵抗がある。

亡き夫のワイシャツを、何度洗濯して何度アイロンかけてもいいと思う。それで気持ちが落ち着くのであれば、死ぬまでやってくれてかまわないと思う。人は長く生きれば誰だって、物忘れが出てきてそれを苦しみ、程度はあるものの徐々に痴呆症状と呼ばれるものが出てくるのだから。そんな老いる苦しみの中であれば、"夫を待つ楽しみ"を再び味わってもいいのだ。彼女の人生の中で、"夫との思い出"が一番強いのならば、夫のいた頃に心が戻ってもいいのだ。

痴呆で怖いのは、自分で自分の後始末をできなくなること。鍋を火にかけたことを忘れたり、お風呂に湯を張り始めたことを忘れたり、食事をしたかどうか分からなくなったり、洋服を自分で着ることができなくなったり、トイレに行くという行為を忘れたり。

今はまだ生活が自立しているのであれば、しばらくは夢の世界で生きるのを見守り、医療・家族調整の仕事はそれから。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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