人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年07月17日(土) 人生最後に頼れる存在

情けは人の為ならず、とはよく言ったものだ。

年老いて動けなくなって、誰かの助けを求めなければ生きていけなくなったとき、誰を頼るか、頼れる人はいるのか。そこが問題だ。伴侶や子どもがいればまだいいのだが、先立たれていたりはじめからいない人もいる。しかし、いても気持ちがなくて動かない関係者もいる。

同じ市内に住んでいても、「あいつは若い頃からわがままやってきた。兄弟みんなに散々迷惑かけて来た奴の面倒を、なんで今更見ないといけないんだ」という関係者は少なくない。どんなことが彼らの若い頃にあったのかは知らない。けれど、身内がいることを知ってしまったら、どうしてもその人を「緊急連絡先」として書類に記入しなくてはいけないこともあるのだ。最後の最後、身内にしかできないことがあり、それをやっていただければしばらくはこちらで関わる、と言ってもその了解すら「責任負えない」と逃げられそうになり、説得することもしばしば。

かと思えば、連絡するなり北海道だ九州だ海外だという地から関東まで駆けつけてくれ、入院や介護保険の手続きをしてくれる人たちもいる。「兄さんには、自分の子どもが東京の大学通うときとか就職のときに世話になったからさ」と70代の弟が80代の兄の為に駆けつけ、そう言った。「姉さんはやさしくて明るくて、私の憧れの人だったんです」と義理の姉の為に動いてくれた人もいた。

うちの両親は共に、身内とは疎遠だ。結局最後に頼れるのは、私たち子どもと言えよう。私と妹ならば、お互いか、いつかは存在するかもしれない子どもたちといったところか。私の予定では、私は夫となる人の面倒もゆくゆくは見るわけで、老後を頼られる予定だけは多い。

伴侶でも子どもでも孫でも甥姪でも身内同然の友人でも何でもいい、あなたには誰かいますか?


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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