人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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そういう曖昧な感覚って大事。
いつもと違う何かを感じるのは、生きるために必要なことだ。「何か変」から見つかる異常というのは多い。病気にしろ何にしろ、その印象を無視したら、悪化するだけ。たまに、「ま、気のせい」と結論付けて忘れたほうがいいこともあるけれど、そこに至る過程の中でそう判断しているのだから、それはそれで正しい道なのだろう。
私の仕事は、「何か変」という、感覚的な部分が重視されるものだ。話をしていて、「あれ?」と思う何かがあったら、それが何なのかを見定める。知識や経験をフル活動して、相手の「変」な部分を探る。何が変なのか分かるまで、怖いから一生懸命になる。分かったら分かった時点で、どうしていくかを考える。大抵見つかるのは、強い子育て不安や発達の遅れや虐待なのだけれど。
最近の私も、「何か変」。まあ、自分の言動が何か変、と自覚できるうちは精神疾患とまではいっていないとも言えよう。違和感に気づけたら、方向修正できる余地があるということ。思わなくなったら、きっとそれは病気の域。気づけばまた、凝った料理作ったりしてるし、簡単なものとはいえケーキまでこさえてるし。
だから、ちょっとイロイロ休んでた。
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