人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年12月17日(水) |
その事実をあなたが知らずにいられたらいいと、そう思う |
整理つけづらい出来事を、避けられるものならば。
他者の死は、身内であれ、知人であれ、まったく知らぬ他人であれ、そこに望まずに立ち会ってしまうと複雑な感情をもたらす。それは、悲嘆だったり、畏怖の念だったり、突然死を見せ付けられたことへの驚愕だったり、そんな感情にさせられたことへの怒気だったり。それが、自然の反応だと思うのだ。誰もが生の喪失は悲しいし、死は畏敬の対象なのだ。
通勤途中、私の斜め後ろに座っていた2人組の、かしまし女子高生の片割れが「あっ」と叫んだ。その直後に、重さの結構ある何かがどこかにぶつかる鈍い音。 「ひ、人が投げ出されたよ?!」と上ずった声。振り返っても、私の席からはまったく見えぬ位置で事故があったらしい。首を伸ばしてまで見ようとも思えず、私はまた前を向いた。
女子高生コンビの片割れは、事故の様子を直で目撃してしまったのか、事故現場を遠く離れつつあるときに、「や、やだ。なんか、気持ち悪くなってきちゃった…」と言い出した。事故した人に出血でもあったのかしら、と私はのんきに、まずは衣服を緩めて横になるか戻して楽になったほうが…なんて思ったりした。「やだ、マジ顔色悪いよ? いいよ、横になって」ともう片割れが声かけしていた。
次の日、新聞にその交通事故の記事が載っていた。バイク同士の衝突事故。人がひとり、生を失っていた。 これを知ったら、感受性の強かったあの女子高生は何を感じるだろうと、そう思った。そして、このことを知らずにいたらよいと思った。
例え何かを目撃してしまっても、知らなくていいことはたくさんあるのだ。
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