人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
日記一覧|past|will
| 2003年09月04日(木) |
私は善人にはなれない |
だからといって、偽善者にもなれない。
乳幼児健診が何故行われているのか、親となった人は考えたことがあるだろうか。住んでいる地域の保健所や保健センターから気がついたら通知が来て、呼ばれたから行ってみるか、という人も少なくないであろう。
市区町村で行われる乳幼児健診には、医師、歯科医師、歯科衛生士、栄養士、看護師、保健師等、専門職種が従事している。 だから、親御さんは、身体測定で子どもの目に見える成長ぶりを喜ぶのもよし、斜視じゃないかしら包茎大丈夫かしらと診てもらうのもよし、虫歯チェックをしてもらえないかしら歯磨き嫌がってどうしようもないのと訴えるのもよし、ミルク足りてるのかしら好き嫌いが多くて困ってるのとそういう相談をするのもよし、こんなに寝てていいのかしらどうやって叱ったらいいのかしらと相談するのもよし。 それらが全部無料で受けられる、お得な場所なのだ。
だからって、こっちだって慈善事業で行っているわけではない。大人の健康診断と一緒で、子どもにも健康チェックする場が必要で、より健康になるための目安や、より順調に発達するための目はたくさんあった方がいいのだ。 そして、発達チェック。これが問題。
健診は試験ではない。あくまでも、その子の発育・発達状況を見ている場だ。健診で一生懸命その子の発達の遅れを隠したところで、その先、保育園、幼稚園、小学校…どこかでほころびは広がっていく。 遅れていないのにおくれているんじゃないかと夜も眠れなくなるほど悩む親も困るが、発達のおくれに自覚のない親も非常に困る。隠そうとガードの固い親にも困る。
「私には育てる自信がない。だから、障害児は生みたくないと思う」 看護学生時代の障害児施設に実習に行った私の記録に、はっきりと書かれている。一生寝たきりだの、一生人に通じることばが発せられないだの、誰かの手を借りなければ生きられない命の人生を背負うことは、想像しただけでも私には重すぎた。実習中のカンファレンスでも、他学生は「おくれがあってもかわいい。私なら育てられる。施設に預けっぱなしの親が信じられない」と言っていた中、そんな偽善的なと思いながら「自分には無理」と言い切った気がする。
私が障害児の親の気持ちで一番共感できるのは、「こんな子欲しくなかった」「生まれなければよかった」というところだ。その先は、どんなことがあっても「あなたなら頑張れる」だの「あなたは選ばれた」だのという、きれいごとで他人事なせりふなど言えない。 だけど、第1子に障害児を持っても次の子どもを生む親の強さや、養護学校よりも普通学級に入れたいと教育委員会と学校に交渉する親の直向さには、胸打たれるものがある。素直に感動し、それをことばにして伝え、つらいときには寄り添っていくことを決意させてくれる、そんな親御さんたち。
私には、一体何ができるのだろう?
|