人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年08月19日(火) |
信じない人、信じすぎた人 |
意識すると、"適度"が1番難しい加減なのかもしれない。
『信じなければ裏切られることはない』。それは正しいだろうけれど、そんな悲しいことばは要らない。信じられない相手はいる。対し、信じなければいけない相手もいる。
一番大事なことを最後に選択するのは自分。誰かに選択をねだるのも選択の一つだと思う。だけど、そんな自分を人はひとりで支えることはできない。誰かの存在というものがあって、人は強くなれる。自分にとって何が有益なのかを見極めようと、頑張ることができる。選択していける。
信じていない人からの"信頼"など、意味のない事実。信じている人からの"信頼"であるからこそ、応えようとする力が湧き出す。
たとえ裏切られること、騙されることがあっても、信じた自分をばかだと思うけれど、信じたことを後悔することはない。誰かを信じることができる自分は、誰かに背中を預けることができる度量があるのだと理解しているから。
『うちの子(人)に限って』というのは、盲目的信頼なのか客観的信頼なのか、時々気になる。法に触れそうな行為についても、信頼の裏切り行為についても、発達の遅れについても、同じことばが出たりする。そんな、いろんな場面で聞かれる『うちの子(人)に限って』。 信じることは、いいことなんだろうか? 盲目的に信じられると、それが重荷に感じられるのは私だけだろうか。
信用される重み。 心地よく感じるか、過重に感じるか、それが運命の境目。
感受性は人それぞれ。
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