人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年04月11日(金) |
信じていた足元を揺らす存在との出会い |
もはや、自棄酒。
被虐待者が虐待加害者であることはよくあること。虐待の連鎖というやつだ。 虐待の話を、されたこともしたことも、されていることもしていることも、生の声で目の前でされるということは、醜聞を聞くような好奇心を満たすような気持ちで聞くことは、決してできやしない。
電話をするとなったら、かなりの心づもりが必要とされる。その日突然思いついて即決行、だなんてことはよほどのことがなければ私にはできない。相手によっては、1週間くらい前から「あの日に電話をする」と決め、カウントダウンしていかないと、いざ当日になるとかけられないようなこともある。 それくらい、話が予想つかず、そして重いのだ。
そしてたった数分でも、心の話を聞いてしまったら最後、その後はしばらく、聞いてしまった自分の感情をコントロールすることに非常に努力を強いられる。 不思議なことに、そういった話を聞いた日は、自分の子ども時代や親のことを思い出す。子がいる人は、このことも思い出すらしい。 自分の過去を揺さぶられるのだ。
自分にはまったく関係のない他人の経験談により、こんなに身のうちを掻き乱されるというのは、滅多にないことだと思う。感動とは縁遠い、悲しみと怒りと恨みと切なさと歯がゆさと愛しさと困惑感が、いっぺんに、一緒くたに聞く側に投げ込まれる体験談。 親との確執、子どもとの距離の掴みにくさ。 男女間の関係のもつれなんかより、もっともっと奥が深くて、根深い何かを持っているそれら。 話をするほうもされるほうも、心身ともに削られる。だけど、それはふたりそろって前に進むためには必要なことであって。それは、わかっていることだけれども。
寿司と枝豆とわかめスープと梅ワインが、最近の定番。ひと月に数度、私はひとりでお酒を飲む。虐待の話を聞いた日は、飲まずにはいられない。
最近、少し泣くことにも疲れてしまった。
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