人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年12月14日(土) 夫婦の関係、子どもの存在

あんな電話取りたくなかったと、今でも思う。

数ヶ月前のある日、職場の朝1番の電話に私が出た。
「おはようございます。○○センターです」
『おはようございます・・・すみません、健診の通知がきたんですけれども』
女性の声だった。
我が職場では、乳幼児の健診は3〜4ヶ月、1歳6ヶ月、3歳6ヶ月の3時期に行っている。
大抵、健診の通知に関して問い合わせがあるときは、日にちや時間の変更は出来ないのか?といったものが多い。
「お子さん、おいくつですか?」
『来月で1歳7ヶ月になります』
「じゃあ、×月○日で連絡いきましたか?」
『あ、はい・・・それで、その日、まだ入院していると思うので、行けないんですが・・・どうしたらよいでしょうか?』
「入院ですか?お子さん自身が?」
子どもの入院も結構多い。私の受け持っている地域では、小児喘息や心臓疾患で入院する子が後を絶たない。
『はい・・・』
「日にちの変更は出来ますから、退院のめどがついていたら教えていただけますか?」
『まだ・・・退院できるかも決まっていなくて』
「・・・お子さん、どんな状態なのか聞いてもいいですか?」
場合によっては、母のメンタル面のフォローもする。だから、私は聞いたのだ。でもまさか、あんな答えが返ってくるとは思わなかったのだ。



電話口で聞いた母の悲鳴と嗚咽が、時を経ても私の耳から離れない。
母自身だって自責の念でつらいのに、夫からも、夫の両親からも、『お前が悪い』と責められて。故意にしたわけではないのに。

子を持つ夫婦の絆とは、なんなのでしょうか?
子ども中心? 子どもがいたら、相手である妻や夫を労わる気持ちは薄れてしまうの?

子どもの頃はつらいときこそ支えあえるのが夫婦だと思っていたけれど、最近ではそうじゃないことを直に知らされる。

だけど、私を救ってくれる存在もある。
あなたがまた日記を書き始めてくれて、私はとてもうれしい。

私も、前に進もうか。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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