一度だけの人生に
ひろ



 本当のこと

本当のことは、どんなことでも
全て、なんだかやりきれないことばかりです。
でも、結局、そんなもんだと思えば、そんなもので、
そんほどそれ自体は辛く無いと思うのだけれど、
本当はそんなものだって、自分も自分と人に対して、
他人も自分自身と人について分かっているのに、
自分はそうじゃないと見せかけて、
生きて行かなければならないのは、とても辛いこと。

どうして、人と人の間は
こういう仕組みになっているのでしょうか?

僕は、自分の事は棚に上げるけれども、
どうして人は僕のことを無用に警戒するのか、分からない。
僕は意図して、決してあなたを傷つけないし、
なんにしても、よほどでない限り、あなたは僕より立派に
決まっているのだから、泰然としていても良いのに・・・。

こんな気持ちをよそに、無用の警戒、駆け引き、探りあい。

僕は周りから「良い人」「優しい人」と言われています。
これは自慢ではありません。
どだいこんなことが何の自慢になりましょうか。
(こんな注釈こそが「無用の警戒」です。)
「良い人」だから相談されるのか、相談できる人だから
「良い人」なのかは分かりませんが、
とにかく恋愛から始まって進路、勉強、友人、家族問題に至るまで、
実にさまざまなことをいろんな人から相談されます。
その時の相手の僕への警戒。
そんな出したり隠したり、濁したりと言う警戒を
するくらいならば、初めから僕に相談などしなければいいのにと
思います。相談にのるのはかまわないし、
話を聞くくらいなら、いつでもいくらでも聞くけれど・・・。


相談と言えば後輩の女の子に
このあいだ意外なことを言われました。
「ひろおさんって、あんまり人に興味ないから、
分け隔てなくみんなに優しく出来るとか、
そんな感じじゃないですか?」

僕が?人に興味ない?
基本的には人のことばかり
考えているような気でいたんですけど・・・。
でも考えてみると、結局は自分の事しか考えていないと言うことと
質的にも見た目的にも変わらないのかもなぁと思う。

当たり前と思っていることを当たり前に
行うと、人は「優しい人」と言います。


「人を憂う。人の寂しさ、侘しさ、辛さに敏感なこと。
これが優しさであり、また、人間として一番優れていることじゃ
ないかしら。」

「人を憂う」は人の為に
何かしてあげることだけじゃなくて、
それは出来たらしてあげるのが良いのだろうけど、
出来なくても、人のことを思い、
一緒に泣き、悲しみ、苦しむことなのだと思う。

2003年05月02日(金)
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