一度だけの人生に
ひろ



 夢はつまり・・・

思い出の後先

by「少年時代」
それ以上の意味なし。

太宰を卒論で研究するということは、
それは太宰との決別を意味している。
なんて風なことを思ったり。
太宰ほど、読者を自分と同一視させることに
長けた作家はいないと思う。(言い方が変だ)
つまり、それだけ人間(弱い人)にある程度
共通した感覚、感情を持ち合わせていて、
しかもそれを巧みに表現することのできる
作家だったということです。

でも読んでいくとやっぱり分かるものです。
自分と太宰は違うって。
それは当たり前のことです。

でも共感って言うのは、
嬉しくて、楽しくて、幸せなものです。
それは確かなような気がします。
「愛」とか「恋」とかそう言うのは
いまいちはっきりと分からないけど、
必ず通じているんだろうなと感じます。

自己満足とか、手前勝手な解釈とか
そんな風にも考えられるけれど、
どこか、そう言う所でつながり合えると言うことを
実感として思えることはやっぱり幸せだと思うし、
それは信じたいと思ったり・・・。


太宰語録を載せちゃいます。


「私は神も鬼も信じていない。人間だけを信じている。」

「私のたたかい。それは、一言で言えば、古いものとのたたかいでした。ありきたりの気取りに対するたたかいです。見えすいたお体裁に対するたたかいです。ケチくさい事、ケチくさい者へのたたかいです。」

「世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが・・・」

「死なせて下さい、等という言葉は、たいへんいじらしい謙虚な響きを持って居りますが、なおよく、考えてみると、之は非常に自分勝手な、自惚れの強い言葉であります。ひとに可愛がられる事ばかり考えているのです。自分が、まだ、ひとに可愛がられる資格があると自惚れることの出来る間は、生き甲斐もあり、この世も楽しい。それは当り前の事であります。けれども、もう自分には、ひとに可愛がられる資格が無いという、はっきりした自覚を持っていながらも、ひとは、生きて行かなければならぬものであります。ひとに「愛される資格」が無くっても、ひとを「愛する資格」は、永遠に残されている筈であります。」



2003年04月21日(月)
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