 |
 |
■■■
■■
■ 夢はつまり・・・
思い出の後先
by「少年時代」 それ以上の意味なし。
太宰を卒論で研究するということは、 それは太宰との決別を意味している。 なんて風なことを思ったり。 太宰ほど、読者を自分と同一視させることに 長けた作家はいないと思う。(言い方が変だ) つまり、それだけ人間(弱い人)にある程度 共通した感覚、感情を持ち合わせていて、 しかもそれを巧みに表現することのできる 作家だったということです。
でも読んでいくとやっぱり分かるものです。 自分と太宰は違うって。 それは当たり前のことです。
でも共感って言うのは、 嬉しくて、楽しくて、幸せなものです。 それは確かなような気がします。 「愛」とか「恋」とかそう言うのは いまいちはっきりと分からないけど、 必ず通じているんだろうなと感じます。
自己満足とか、手前勝手な解釈とか そんな風にも考えられるけれど、 どこか、そう言う所でつながり合えると言うことを 実感として思えることはやっぱり幸せだと思うし、 それは信じたいと思ったり・・・。
太宰語録を載せちゃいます。
「私は神も鬼も信じていない。人間だけを信じている。」
「私のたたかい。それは、一言で言えば、古いものとのたたかいでした。ありきたりの気取りに対するたたかいです。見えすいたお体裁に対するたたかいです。ケチくさい事、ケチくさい者へのたたかいです。」
「世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが・・・」
「死なせて下さい、等という言葉は、たいへんいじらしい謙虚な響きを持って居りますが、なおよく、考えてみると、之は非常に自分勝手な、自惚れの強い言葉であります。ひとに可愛がられる事ばかり考えているのです。自分が、まだ、ひとに可愛がられる資格があると自惚れることの出来る間は、生き甲斐もあり、この世も楽しい。それは当り前の事であります。けれども、もう自分には、ひとに可愛がられる資格が無いという、はっきりした自覚を持っていながらも、ひとは、生きて行かなければならぬものであります。ひとに「愛される資格」が無くっても、ひとを「愛する資格」は、永遠に残されている筈であります。」
2003年04月21日(月)
|
|
 |