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■ 争い
第二次湾岸戦争と言ったら良いのでしょうか? そんな感じの戦争が始まったので、 感じたことを書いておこうかなと思いまして・・・。
戦争・・・。 批判されるかもしれないが、 正直、僕はあまり関心も感慨もない。 世間ズレしたと言いたいところです。
要するに力の弱いものは 力の強いものの思うとおりに翻弄され 奪われ、殺されて行くと言うことでしょう。
今回の戦争だって、アメリカは「イラク解放」 「正義・人道・人権」と言い、 フランス・ドイツは「武力行使反対」と言うが 結局はフセインが石油の決済を ドルからユーロに替えたこととか、 石油利権だとか、支持率だとか・・・つまり利益が あるからでしょう? 戦争する理由も利益。 戦争に反対する理由も利益。 「自分達の幸福のため」でしょう?
それは何もアメリカ対イラクと言う関係に 置いてだけで言えることではなく、 戦争というものそのもの、 イラクの国内、アメリカの国内、日本の国内、 いや、全ての国・政治・企業・宗教・司法・学校に 置いて、同様の関係があると思う。 あるいは家庭や友人関係にもあると言えるかもしれない。
「正義? 所謂階級闘争の本質は、 そんなところにありはせぬ。 人道? 冗談じゃない。僕は知っているよ。 自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ。殺す事だ。 死ね! という宣告でなかったら、何だ。 ごまかしちゃいけねえ。」
太宰治『斜陽』
階級闘争に限った事じゃないと思うのは 僕だけでしょうか? 戦争とは、結局、生活の戦いの延長なのではないでしょうか? 個人対個人、企業対企業、宗教対宗教、国対国。 質的に、僕にはあまり違いがないように思える。
じゃあ僕がこんな風にエゴイストになりきって、 当然のことみたいに納得して、今の戦争を見ているかというと そうじゃない。 僕は自分を敗者だと思っている。生活の敗者だと思っている。 人と争って勝負する以前に、勝負から逃げている。 「NO」と言って、相手と争うことが出来ない。 争って、自分の意見を相手に押しつけることが出来ない。 自分の利益のために、争って、相手に 不利益を押しつけることが怖ろしくて、 申し訳が無くて、出来ない。 全て不戦敗で、一人自己嫌悪と不満に身悶えしている。
そして人が僕に、暗に言うには 「戦わないのが悪い」「どうして立ち向かわない?」
戦わないのが悪いのではないのか? 自分達の幸福のために相手を倒すこと、 弱者を殺すこと、それが賢い生き方ではないのか?
戦争が起こったときの周りの人達の 反応の方に僕はかえって当惑する。
それが、普段あなた達が僕に勧める生き方でしょう?
2003年03月20日(木)
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