一度だけの人生に
ひろ



 「パンセ」 

「要するに、自然の中で人間は果たして何者であるだろうか。無限に比べれば虚無、虚無に比べれば全体、虚無と全体との中間である。人間は、両端から無限に遠ざかっているので、これを理解することはできない。人間は、その出所である虚無も、かれを呑み込んでいる無限も見ることができない。・・・・このように、自分について考える者は、自分自身が恐ろしくなるだろう。そして、無限と虚無と二つの両端の間に、自然から与えられた肉体の中に生きている自分をかえりみて、身震いするであろう。」
パスカル「パンセ」断章72

「今ここに、若干の人が鉄の鎖につながれて、皆が死刑を宣告されている。そのうち何人かが、毎日、他の囚人の目の前で斬首され、あとに残る囚人達は、仲間の運命を見て、自分たちの運命をさとる。そして、悲しみと絶望との内に、互いに顔を見合わせている。これが人間の条件のかたどりである。」断章199

「われわれが同類の人間と社会を営んで安心しているなんて、おかしいことである。かれらは、我々と同じようにみじめであり、無力であって、我々の助けにはならない。我々は一人で死んでいくのだ。」断章211

私たちはあらゆる面において限られた存在であって、どの能力をとってみても、頼りないものである。例えば、私たちの感覚は、ある限度を超えると用をなさない。私たちの耳はあまり大きな音も、あまり小さな音も聞くことができない。あまり強い光は目をくらませるし、あまり遠いところも、あまり近いところも見ることができない。あまり高い温度も、あまり低い温度も感じない。また、快楽も、あまり続くときは不快になるし、プレゼントもおまり多いときにはうんざりさせられる。私たちの愛する人に、長所がありすぎても、欠点がありすぎても気に入らない。若すぎても年をとりすぎていても精神の働きは妨げられるし、学問がありすぎても、たりなくても同じである。

「これが我々の真実の状態である。かかる状態にあるが故に、われわれは、確実に知ることができないし、また絶対的に無知でもあり得ない。われわれは、渺茫(びょうぼう)たる中間に漂い、常に不確実で、安定を欠き、一端から多端へと押し返されている。何らかの端に固着し、落ち着いたかと思っていると、その端は動揺し、我々を離れ去る。その後を追っても、我々の手を逃れ。我々から滑り去り、永遠に逃げかくれる。なにものも、我々の為にとどまってはくれない。これは、我々にとって自然な状態であるが、我々の傾きに最も反したものである。我々は堅固な基礎を、そして無限にそびえる塔を建てることのできる決定的な、不動な地盤を見いだそうと熱望する。しかし、我々のたのむ地盤は全て崩れ、地は裂けて深淵を現出する。であるから、安定と堅実性とを探すまい。我々の理性は、つねに、不定な外見によって裏切られる。どんな努力をしても、二つの無限の間に有限を固定させることはできない。無限は有限を包含するが、また、これを逃げるのである」

「実際に人間が互いに相手を何と言っているのか知ったならば、この世にともと呼べる人は四人とはおるまい。」断章101
「口を二つ持たないのを不幸と思うものはいないだろう。また、眼を三つ持たないのを嘆く気になった人もいないだろう。しかし眼を一つも持たない人は、慰めるすべを知らないに違いない。」断章409

「要するに人間は自己に対しても、他人に対しても、偽装、虚偽、偽善でしかない。他人が自分に真実を告げるのを欲せず、他人に真実を告げるのを避けるからである。しかも、正義と道理に甚だしく反するようなこの心情は、その心に自然を根ざしている。」
パンセ「自愛心」より

「人間の不幸はみな、ただ一つのこと、すなわち、(ずっと)一室に閉じこもっていられないということにあると発見した。」断章139


2001年07月21日(土)
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