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■ 哲学的人間学
両義性 こうして人間は本質的不安定性の中で絶えず 揺れながら生きていく存在であるが、 それは結局の所、人間の存在が常に相互に対立し 矛盾する二つのものを包み込んでいるから 両者を統一することもいずれか一方を 完全にコミットすることもできないと言うことを 意味する。その点で人間のあり方は もともと両義的である。 例えば、先にも述べたように、 人間は本質的に不安定であるから 不安定なことに安定していると言うこともできるし また人間は身体と精神を持つが、 この二つは相互に密接しながらも、 決して調和的であるとはかぎらない。 むしろ私たちの日常生活の経験に照らし 合わせてみても、両者は背き合い、情欲と理性の 相剋として表れることが多い。 私たちが味わう内面の葛藤やフラストレーションが それに起因することは言うまでもない。 だからこそゲーテによって人間の典型として 描かれたファウストは 「ああ〜俺の胸には二つの魂が宿っている」 と嘆くのである。この両義性は、 人間が環境によって作られると同時にこれを作り、 集団の中で生きざるを得ない反面で 非常に利己的であり、歴史的な存在でありながら 歴史を越えることもでき、絶えず生きることを願う反面死ぬことも欲求し、愛する反面で憎み、 苦しみつつ楽しんでいるなど、 人間の生存の全ての局面に働いている。 要するに、人間の中には肯定と否定とが 対立抗争しながらも分かちがたく 絡み合っているのである。 このように両義的な存在である人間は 自分の中に矛盾した二つのものを 含むわけであるから、曖昧なもので あらざるを得ないし、またその二つを截断して一方をはできないから曖昧な行動をとらざるをえない。 先には人間は自分の前にあるいくつかの可能性の 内から決意によって選ばなければならないと述べた。確かにこの選びは曖昧の否定ではあるが、 実はこの否定は瞬間的なものに過ぎず、 その直後に必ず新しい迷いが生じて、人間は再び 曖昧へと連れ戻されることになるのである。 こうして人間は曖昧でありながら、この曖昧を 否定しようと試みるが、この否定を 持続し得ないで一層深い曖昧に陥る。 したがって人間にとっては一義性こそが むしろ例外なのであって両義的であり、曖昧であることが常態なのである。
2001年07月20日(金)
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